264
2024/08/25 05:40
爆サイ.com 甲信越版

🛎️ 男子プロレスラー





NO.10235577

ストロング小林
合計:
#652018/07/08 15:48
コルベット

[匿名さん]

#662018/07/09 11:33
ストロング小林がドクターXに反則攻撃されている時にみかねた
解説席のラッシャー木村は実況アナに
「ちょっと行ってきます」と律儀にあいさつしてから
リング上のストロング小林を助けに行った。

[匿名さん]

#672018/07/09 21:28
>>66 そのシリーズは小林の凱旋帰国シリーズでビッグK(スタン・コワルスキーだっけ?)が小林の
    マネージャーみたいにひっついてたな。

[匿名さん]

#682018/07/09 21:44
新日本時代のこの人の動き方、身体硬そうでモタモタしてるように見えるんだよね〜…(´;ω;`)

[匿名さん]

#692018/07/09 23:08
アントニオ猪木はストロング小林に顔が似てると言われると露骨に嫌な顔をした

[匿名さん]

#702018/07/13 22:37
本当は兄弟だった

[匿名さん]

#712018/07/14 00:38
ホモロング小林

[匿名さん]

#722018/07/16 20:21
漫画ストロング

[匿名さん]

#732019/02/10 00:21
1回だけはぐれ国際軍団に加担

[匿名さん]

#742020/07/11 07:04
>>62破談でしょ!

[匿名さん]

#752020/07/11 07:43
両刀だよ。

[匿名さん]

#762020/07/11 07:53
>>56猪木が日本プロレス除名になり新日本を旗揚げした当時は、ストロング小林の方が知名度は上回っていたのです!TBSのネットワークで地方を多く占めていたのが国際の強みでした!

[匿名さん]

#772020/07/11 12:16
当時の子供にはどっちが猪木か小林かわからなかった

[匿名さん]

#782020/07/11 12:22
>>75
やめろや

[匿名さん]

#792020/07/11 12:27
>>78
75はプロレスカテで有名なチビジジィです

[匿名さん]

#802020/07/11 17:03
>>75
反省しろよ

[匿名さん]

#812020/08/16 14:15
お酒大好きレスラー

[匿名さん]

#822021/05/06 21:15
ピンクのカーテン

[匿名さん]

#832021/05/06 22:42
小林は新日本プロレスに移籍した理由の一つに「内側から猪木さんを研究して、またいつか猪木さんに挑戦して勝つのが目的でもあります」と語っていたが、結局その目的は果たせなかった。

[匿名さん]

#842021/05/06 23:18
馬場との交渉が決裂したからだよ

[匿名さん]

#852021/05/06 23:21
TBSが中継やめたから

[匿名さん]

#862021/05/07 00:11
本当は腕力弱い人

[匿名さん]

#872021/05/07 01:36
>>83
ストロング小林はいいレスラーだったが、不器用なレスラーだった。猪木との一戦は猪木が小林の良い部分を引き出したから成立した一戦だったね。

[匿名さん]

#882021/05/07 03:47
ストロング小林もリックフレアーと対戦してたら引き出し色々あったろうに

[匿名さん]

#892021/05/07 05:07
ストロング小林は国際プロレス時代のプロフィールでは昭和19年生まれとされていたが、新日本プロレスでは昭和16年生まれになっていた。実際は昭和15年生まれらしい。

[匿名さん]

#902021/05/12 18:07
昭和56年9月23日(水)東京・田園コロシアム
IWGPアジアゾーン予選リーグ戦
坂口征二(9分53秒、リングアウト)ストロング小林

[匿名さん]

#912021/05/12 18:40
坂口と小林が北米タッグチャンピオンだったが子供心になんで日本で北米?って思った

[匿名さん]

#922021/05/12 18:44
NWAノースアメリカンタッグ選手権

[匿名さん]

#932021/05/14 10:29
坂口とのシングルマッチでリングアウト勝ちした小林に坂口が近づき握手を求めて、小林が手を差し出した瞬間に坂口が小林の頬へ思い切りビンタを食らわせて逃げるようにリングから去った。
あっけにとらわれた小林の表情が印象に残っている。

[匿名さん]

#942021/06/14 23:47
国際プロレスのエース🃏

[匿名さん]

#952021/08/05 19:26
結果的に猪木の日本統一への足掛かりとして利用された小林ですが、この猪木との一戦は高く評価され、知名度もハネ上がりました。
猪木が小林の持ち味をすべて引き出して受け切ったことで、小林のレスラー人生の中でも屈指の名勝負となったワケです。
その点が力道山vs木村政彦戦との違いです。

この時、新日プロで交渉に当たったのが新間寿氏です。新間氏は「3ヶ月かけて小林に猪木戦を了承させた」と語っていますが、どんな口説き方をしたのかは明らかにしていません。
もちろん破格のギャランティも示したのでしょうが終始「小林さん」と相手を立てて話す新間氏に対し、馬場さんは「小林」と呼び捨て(歳下でずっと後輩なので当然)なのに気がついた小林母が「猪木さんのところにお世話になりなさい」と決めた、というウワサを聞いたことがあり、妙に納得しました(笑)。

[匿名さん]

#962021/08/05 21:33
ないない。
TBSが国際プロレス中継から撤退を決めた為に番組エース(団体エースではない)小林は立場がなくなり好条件の移籍先として新日本を選んだだけ。

[匿名さん]

#972021/08/06 05:01
結果的にグレート草津との長年の確執から国際プロレスを脱退したのが真相

[匿名さん]

#982021/09/10 16:36
>>83 >>84
猪木との再戦前に「全日に来て鶴田を盛り立ててやってくれ」とアメリカで馬場に言われたらしいけど
全日行っても最初は話題を呼ぶだろうけど結局馬場鶴田の格下に置かれて
新日入団後同様に鳴かず飛ばずに終わったんだろうなあ

[匿名さん]

#992021/09/11 00:14
>>98
全日本を立ち上げた馬場は当初に選手不足から国際プロレスからサンダー杉山を円満交渉で入団させ馬場に次ぐエースの立場を約束していたが、鶴田を獲得して更にデストロイヤーが加入して杉山の位置は中堅レスラーになって約束が違うと憤慨して杉山は全日本をやめた。
馬場とはそういう男だ。

[匿名さん]

#1002021/12/05 15:23
>>91
新日本のために急造したタイトルで
権威・見栄え的にNWA認定の文字が入った米国風のタイトル名であれば何でもよかった

[匿名さん]

#1012021/12/05 15:59
美保純と絡んだ

[匿名さん]

#1022021/12/05 18:15
ストロング小林さん「レスラーにとって最高の誇り」アントニオ猪木戦を語る…「昭和プロレス禁断の闘い」 11/6(土) 11:00配信

ストロング金剛の芸名でタレントとしても活躍した元プロレスラーのストロング小林こと小林省三さん(80)と
アントニオ猪木氏(78)が47年前に戦った名勝負を追跡取材した
「昭和プロレス禁断の闘い~アントニオ猪木対ストロング小林が火をつけた日本人対決~」(河出書房新社、2970円)が出版された。

 「今の若い人は僕のことを知らないでしょうね」。
芸能活動を引退して26年。小林さんは脊髄損傷による下半身のまひで3年前から寝たきりとなっている。
これまで取材を断ってきたが、介護してきた妹のさち子さんが「プロレス界にストロング小林がいたっていうことを残してもらいたい」とつないでくれた。

[匿名さん]

#1032022/01/08 15:13
元プロレスラーで俳優としても活躍したストロング小林さん(本名・小林省三)が、
昨年12月31日午前7時21分、東京・青梅市内の病院で、
のう肺(肺が炎症を起こす病気)のため亡くなっていたことが6日、分かった。81歳だった。

[匿名さん]

#1042022/01/08 15:21
なお、猪木の延髄斬りで初めて敗れた選手が小林さん。 だそうです

[匿名さん]

#1052022/01/08 16:49
猪木と試合して 初めて恐怖味わったでしょう いい試合でしたが

[匿名さん]

#1062022/01/08 17:28
台本通り仕事しただけ

[匿名さん]

#1072022/01/08 17:49
身も蓋も無い

[匿名さん]

#1082022/01/08 19:38
昭和の昔話になるとヤオハゲの独壇場だなw
でもみんなほとんど興味ないと思うからあんまり上げるな

[匿名さん]

#1092022/01/09 03:36
小林さんの訃報を受け、1974年3月19日に蔵前国技館で歴史に残る戦いを残したアントニオ猪木氏が追悼コメント発表した。

 「ストロング小林選手のご冥福を心よりお祈り致します。
小林選手との一戦は『昭和の巌流島』と呼ばれ、入り切れない程の多くの観衆に観て頂きました。
小林選手もこの試合を人生最高の試合と言ってくれ、私も格別な思いがあります。
お互い、若くベストな時に勝負が出来た事が走馬灯のように思い出されます。ストロング小林選手、ありがとう」

 猪木氏と小林さんの蔵前国技館での激闘は、1954年12月22日の「力道山対木村政彦」戦以来の
大物日本人対決と当時、話題となり会場には1万6500人が押し寄せる大人気となった。
試合は、猪木氏がジャーマンスープレックスホールドで勝利したが、
この試合をきっかけに当時、禁断と呼ばれた日本人対決がリングの主流を占める原点となった。

[匿名さん]

#1102022/01/09 03:48
>>97
当時、国際プロレスの所属選手だったマイティ井上氏(72)が語る。

「草津のオッサンが巡業で下の選手をイジメたりするのは、事実としてありましたよ。
でもね、小林さんもなんでいろいろやられておとなしくしてたんかなと。
俺らは不思議に思っていました。確かに草津のほうがこの(プロレス)業界に入ったのは少し先だけど、
年齢も小林さんのほうが上だし、団体のエースなわけですよ。

 腕力で言ったら、なまくらの草津あたりじゃ小林さんに勝てないのに、何も言わない。
俺だったら、先輩だろうが何だろうが理不尽なことであればハッキリ言いますよ。
国際プロレスっていうのは(ラッシャー)木村さんや(アニマル)浜口もそうだったけど、
見かけと違っておとなしい人が多いんですよ」

[匿名さん]

#1112022/01/09 04:11
グレート草津に対する小林さんの不信は晩年になっても氷解することはなかった。小林さんはこう語っている。

「ずっと後になってね、熊本にいる知人から電話がかかってきたことがあったんですよ。
『小林さん、ちょっと珍しい人と代わります』というんでね。相手はグレート草津でした。
開口一番『オイ、お前何やってんだ、いま』と言うもんですから、僕は黙って電話を切ったんです。
業界を離れて長いのに、いまさらお前呼ばわりされることはないと思ってね」

[匿名さん]

#1122022/01/09 05:42
怪力男昭和レスラーて感じ

[匿名さん]

#1132022/01/09 08:22
高校卒業後に国鉄(現在のJRグループ)に入社し南武線の稲城長沼駅へ勤務。
25歳の時にボディービル会場でスカウトされ国際プロレスに入門。
67年7月27日に日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューした。

[匿名さん]

#1142022/01/09 09:42
馬場と戦って欲しいレスラーだったな

[匿名さん]

『ストロング小林』 へのレス投稿
レス本文 必須 750文字まで:残り750文字

スタンプ

NEW!
任意入力フォーム

お名前 任意 16文字まで
E-mail 任意

※削除パス機能は廃止しました。
会員は、投稿から24時間以内であれば削除パスなしで
削除できます。
詳しくは「削除パス廃止のお知らせ 」をご覧ください。
今すぐ会員になる

📘 ローカルルール
📌スレッドは立てる前に、重複していないか確認してから立てて下さい。重複スレッドは削除対象となります。
📌スレッドタイトルは、タイトルを読んで中身がわかるように心がけて下さい。
📌誹謗中傷にあたる書き込みは利用規約違反になりますのでお止め下さい。
📌重複スレッドを発見した場合は、スレッド下部にある「重複スレの報告」フォームよりご連絡下さい。
投稿前の注意
  • 掲示板あらし行為URLの記載は 一回で書込み禁止措置と致します。





🌐このスレッドのURL




📑関連掲示板