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NO.1652136

【超獣】ブルーザー・ブロディ
#2502021/01/28 22:12
とにかく嫌われ者。他人を信用しない性格で相手を見下す癖がある

刺されて当然のクズ

しかしプロレスラーとしては間違いなく超一流だった

[匿名さん]

#2512021/01/28 22:22
>>250
爆砕だから多少の暴言であっても、いちいちめくじらを立てることはないとは思う
だけど現実に刺されて死んだ人間に対して「刺されて当然」は気分悪い

[匿名さん]

#2522021/01/29 13:51
新日のIWGPタッグリーグ決勝をボイコットしたブロディはそのまま全日の最強タッグ決勝が行われていた武道館へ行ったが馬場から門前払いを食らった

[匿名さん]

#2532021/01/29 17:00
最後の言葉は 息子を頼む・・だったかな?

[匿名さん]

#2542021/01/29 19:52
流智美氏
「昭和とともに天に召されたような、ドラマティックな生きざまでした。ブロディの死後、米国のプロレスは全く面白くなくなり、幻想がなくなりました。ハンセンも日本に定着し、馬場さんも『NWA』という言葉を使わなくなってしまった。昭和のプロレスを背負って天に旅立った…そんな印象もありますね」

[匿名さん]

#2552021/01/29 23:12
外人実力No1

アンドレとのシングル戦は実現してほしかった

[匿名さん]

#2562021/02/05 15:43
運営の人がスレタイの頭に【超獣】って入れた?!

[匿名さん]

#2572021/02/07 14:38
【プロレス蔵出し写真館】「彼は日本を一番愛していた」〝超獣〟ブロディの意外な一面  2020年11月22日 10時00分

〝超獣〟ブルーザー・ブロディは1979年の全日本プロレス初来日当初から、ファイトぶりとは裏腹にリングを下りると穏やかで知的なレスラーだった。カメラマンの注文にも応えてくれるサービス精神もあった。

 写真は今から32年前の1988年4月3日、福井・武生市(たけふし=現在の越前市)体育館でのもの。試合前にブロディら外国人選手がベンチプレスなどで練習している様子を撮影していると、子供用ヘルメットが置かれているのに気付いたブロディは、頭にチョコンと乗せ角材を手に取りバットがわりに振り始めた。すると、それを見たジミー・スヌーカがキャッチャー役とばかりにブロディの後ろに回りポーズをとった。見事な連係プレー(?)だった。 

 1988年のブロディは3月27日に日本武道館でジャンボ鶴田を破りインターヘビー級王座を奪取、関係者と抱き合うなど喜びを爆発させ、見た目のイメージとは違った一面をファンに披露した。
 
 しかし、このインター王座は4月15日、大阪でUN&PWFヘビー級2冠王者・天龍源一郎との3冠統一戦を経て(結果は両者リングアウト)、19日の仙台で鶴田にピンフォール負けして王座を奪回された。

 そして、22日の川崎でのシリーズ最終戦ではスヌーカとのコンビで天龍、阿修羅原組のPWF世界タッグに挑戦する予定だったが、スヌーカが前日、ジョン・テンタのパワースラムで肋軟骨を骨折したためパートナーをトミー・リッチに変更。リッチがフォールされ王座奪取に失敗。

 8月に再来襲を予告したブロディだったが、まさか、この試合が日本で最後の試合になってしまうとは…。

 ブロディは7月16日、プエルトリコ・バヤモンでの試合前、控室でホセ・ゴンザレスにナイフで刺され、翌17日、大量失血が原因で病院で息を引き取った。

 20日に行われた告別式では「彼は日本と日本のファンを一番愛していた」(バーバラ夫人)とプエルトリコ、米国のマスコミをシャットアウトして本紙を始め日本のメディアだけに亡きがらの撮影が許された。

 享年42。早すぎる死だった――。

[匿名さん]

#2582021/02/07 21:55
>>252
それ本当か?

[匿名さん]

#2592021/02/07 22:16
>>258
ウソ
その噂当日流れたけど
新日ボイコットはアングルじゃなくてガチだから馬場が絡んではいない

[匿名さん]

#2602021/02/08 22:31
新日本移籍した時の集客力は凄かった
というか、ビッグマッチは猪木ブロディしかなかった

[匿名さん]

#2612021/02/08 23:02
>>260
あの時の新日はジリ貧で、猪木vsマシン軍団以外は猪木vs藤波しかなかった

[匿名さん]

#2622021/02/08 23:18
>>260
でもその猪木でさえブロディの相手にはなり得なかった
新日ではブロディのダイナミックな攻撃を受け止めてやり返すスケール感のあるレスラーがいなかった

[匿名さん]

#2632021/02/08 23:41
ブロディ対鶴田って相当レベル高かった
ダイナミックな攻防、チェスのような駆け引きとか、見応えあったな〜
ブロディの凄さ、そのブロディと渡り合える鶴田がいることは当時の全日ファンの誇りだった

[匿名さん]

#2642021/02/09 07:47
>>263
大きいし、見ごたえあったよね
長州は小さすぎて相手にならない

[匿名さん]

#2652021/02/11 19:07
【#プロレス今日は何の日】1983年2・11 ミズーリ州セントルイス・チェッカー・ドーム リック・フレアーvsブルーザー・ブロディ NWA王座戦

[匿名さん]

#2662021/02/11 19:19
ブロディが背の低いレスラーを認めて無かったというのはウソ。
フレアー・ブリスコ・ブルーザー・ブッチャー・マクダニエル・藤波etc. キチンと相手の持ち味を生かして試合を成立させている。
単に長州力の人気にイラついてただけだろう。藤波に対してはジャーマンを受けてる事からかなり評価していたのでは?
ホーガンは猪木のジャーマンすら受けなかったww

[匿名さん]

#2672021/02/20 07:08
ブロディの死後、ハンセンは未亡人となったバーバラ夫人によく電話をかけたという。そして、主を失ったグーディッシュ家の面倒を見た。ブロディの息子であるジェフリー君も、よくハンセンの家を訪ねたらしい。そしてハンセンは、ジェフリー君と一緒にドライブしたり、野球観戦に連れて行ったりしたそうだ。
 スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディ、いやフランク・グーディッシュは、単なるビジネス・パートナーではなかった。ブロディの死後も、2人の友情は続いていたのである。

[匿名さん]

#2682021/05/10 20:41
メシア

[匿名さん]

#2692021/05/10 21:37
カミソリの使い方下手くそで馬場戦でもキルとこが丸わかり

[匿名さん]

#2702021/05/11 03:41
そういえばブッチャーほどではないけど額がギザギザですな

[匿名さん]

#2712021/05/11 05:09
ブロディの試合、総合で見たかった。ブロディvsレバンか。

[匿名さん]

#2722021/05/11 06:33
ブロディはユダヤ人

[匿名さん]

#2732021/05/12 07:59
今やユダヤ人よりあくどい中国人

[匿名さん]

#2742021/07/04 18:30
新日本時代のDVDボックス再販して欲しい

[匿名さん]

#2752021/07/04 20:47
プロレス界の財産だったレスラー

[匿名さん]

#2762021/07/18 18:27
7月17日はブルーザー・ブロディの命日 新日本プロレス&全日本プロレスで大暴れ 7/17(土) 10:53配信

 1988年7月17日(現地時間)、ブルーザー・ブロディが死亡した。42歳だった。

【蔵出し写真】ブルーザー・ブロディのキングコング・ニードロップ

 ブロディは前日の16日、プエルトリコのバイヤモン・スタジアムにおけるWWCの興行中、ドレッシングルームで現役レスラー兼ブッカーであるホセ・ゴンザレス(ジ・インベーダー1号として来日)によって、ナイフで腹部を刺された。翌17日、手術中に出血多量で死亡。21日には葬儀がしめやかにおこなわれ、遺体は荼毘に付された。

 1946年6月18日、ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれたブロディはNFLのワシントン・レッドスキンズと契約したが、ヒザの故障で2シーズン目に解雇。1973年にプロレス転向を決意した。

 デビュー当時のリングネームはフランク“ザ・ハマー”グディッシュ。1976年7月、ビンス・マクマホン・シニアからブルーザー・ブロディという新しいリングネームをプレゼントされ、WWWFに参戦。9月4日、10月4日にマジソン・スクウェア・ガーデン定期戦でブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に2カ月連続で挑戦した。

 1979年1月に全日本プロレスに初来日。タッグマッチながらいきなりジャイアント馬場からピンフォール勝ちを奪う。1981年10月にドリー・ファンクJrを破って、インター・ヘビー級王座を獲得。12月にはジミー・スヌーカとのコンビで「世界最強タッグ決定リーグ戦」を制覇。翌年からスタン・ハンセンとの“超獣コンビ”として全日本マットを席巻していく。

 1985年3月21日には新日本プロレスに電撃移籍。アントニオ猪木と7度にわたる一騎打ちを繰り広げた一方、2度のボイコット事件でトラブルメーカーぶりを満天下に示す。

 1987年10月には全日本プロレスに復帰。ハンセンとの“超獣対決”も実現し、タイトル戦線で活躍。最後の来日となった1988年4月19日にはインター選手権でジャンボ鶴田のバックドロップによって7年ぶりのピンフォール負け。3カ月後に刺殺事件が起こり、このシリーズを最後にブロディが日本の土を踏むことはなかった。

[匿名さん]

#2772021/07/18 18:28
ブルーザー・ブロディの初来日第1戦は1979年1月2日、全日本プロレス後楽園大会だった。

 当時すでに“未知の強豪”の仲間入りしていたブロディはフリッツ・フォン・エリックを別格として、シリーズのエース外国人と目されていた。破壊力抜群の大型パワーファイターとして組まれたカードは1対2の変則マッチ。全日本は壊れそうもない頑丈な体を持った大熊元司と伊藤正男を起用した。だが、ブロディは両選手をまるっきり寄せつけなかった。片手でぶん投げ、押し潰して、5分4秒で料理してしまったのである。

 正月恒例のヘビー級バトルロイヤルでもジャイアント馬場に豪快なアトミックドロップを決め、ファンの目を丸くさせた。翌3日の全日本後楽園大会ではキム・ドク(タイガー戸口)を必殺フライング・ニードロップで一蹴。5日の川崎大会ではタッグマッチながらも馬場をフライング・ニードロップでピンフォール。まだチェーンを手にしていないが、“キングコング旋風”を巻き起こした。

[匿名さん]

#2782021/07/18 18:30
ブルーザー・ブロディが新日本タッグリーグをドタキャン…前田日明「週1万ドルのギャラを取り、わがままを言うようなレスラーはいらない」

1986年11月20日、新日本プロレスは会見をおこない、ブルーザー・ブロディが来日を拒否したことを発表した。

 新日本の年末タッグリーグ戦は3年連続のトラブル。1984年はMSGタッグに参戦予定だったダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスの全日本プロレス電撃移籍&超目玉商品だったハルク・ホーガンの第1戦負傷即帰国事件。1985年はブロディ&ジミー・スヌーカの優勝決定戦放棄。そして、1986年はブロディの来日拒否…。

 本来であれば、ブロディは11・21新潟大会から「ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦」にスヌーカとのコンビで出場予定だった。しかし、ブロディから新日本側に「連絡を取りたい」と一報が入ったのが18日の朝。翌19日、新日本側がブロディに電話を入れると「弁護士と相談したが、契約を破棄する」と一方的に通告されたという。

 ダラスのフリッツ・フォン・エリックに仲介役を頼み事態の好転を図ったものの、状況は変わらずに新日本側はブロディ来日を断念。直接交渉にあたった新日本・杉田豊久渉外担当は「今年9月の契約時にはお互いとことん話し合い、その結果は極めて良好だったのに」と語った。

 新日本としてはドン・中矢・ニールセン戦で一気に株を上げた前田日明とブロディの一戦をシリーズのハイライトにしていた。それが消滅…。

 この一件に関して、当時の前田はこんなことを語っていた。

「ブロディは新日本側の最後の刺客というふうに解釈していたので、気合は入っていたんだが…。しかし、週1万ドルのギャラを取り、しかも、わがままを言うようなレスラーはもう日本マットにはいらないよ。むしろ、初期のスタン・ハンセンのように日本向きの無名外国人レスラーを発掘して、日本に連れて来た方がいい。莫大なギャランティーはもっと日本人レスラーに還元すべきですよ」

 ブロディ&スヌーカ組の代役として越中詩郎&高田伸彦(当時)の新日本&UWF越境コンビがタッグリーグ戦に緊急出場。外国人天国だった日本マット界が変革を迫られた大事件だった。

[匿名さん]

#2792021/07/18 20:53
アンドレから唯一ピンフォール奪った男

[匿名さん]

#2802021/07/18 21:04
豪快なボディスラム

[匿名さん]

#2812021/07/19 22:39
欧州最貧国ユーゴ系の移民(笑)。

[匿名さん]

#2822021/07/19 23:12
あの巨体でドロップキック

[匿名さん]

#2832021/07/20 05:08
重心の重いパイルドライバー

[匿名さん]

#2842021/07/20 08:43
破壊力抜群のニードロップ

[匿名さん]

#2852021/07/20 12:16
一度でいいから、藤原喜明とのシングルマッチ、見たかった。

[匿名さん]

#2862021/07/20 15:32
刺されて血まみれで周りのレスラーに助けを求めてるのに、みんな見ながらゲラゲラ笑ってるってどんだけ嫌われてたんだよ!

[匿名さん]

#2872021/07/20 15:46
ブロディってレスリングの基礎は出来てたの?
タックルの切り方やバックの取り合いなど

殴る蹴るからのキングコングニーの流れしか思い浮かばんけど

[匿名さん]

#2882021/07/20 21:57
バーバラ夫人

[匿名さん]

#2892021/07/20 22:04
動くダビデ像

[匿名さん]

#2902021/07/25 08:31
ブロディは小さい選手を嫌っていた。長州をミゼット呼ばわり。

[匿名さん]

#2912021/07/25 09:49
ケチで有名なブロディ

[匿名さん]

#2922021/07/25 09:59
「こんな小男に勝手なプロレスをやらせてたまるか」

[匿名さん]

#2932021/07/25 11:28
強く見せかけてた人間

バックボーンに格闘技がない

[匿名さん]

#2942021/07/25 12:04
42歳で死去 日本でいう厄年

[匿名さん]

#2952021/07/25 12:39
>>293
バックボーンに格闘技がないプロレスラーなんていっぱいいるだろ
そもそもプロレスは格闘技ではないし
プロレスと格闘技を混同するファンを作り出したのは猪木の罪
その猪木のバックボーンは砲丸投げだし

[匿名さん]

#2962021/07/25 12:53
鶴田もアマレスを始めたのは大学入ってからでその前はバスケットボール

[匿名さん]

#2972021/07/25 13:43
>>295
うんだからそいつらみんなダメ

[匿名さん]

#2982021/07/25 13:43
>>294
厄年関係ありません
何にもなかったからお祓いしなくても

[匿名さん]

#2992021/07/25 14:56
ブロディは身体能力、テクニック、パワー、プロレスラーの能力を数値化したらベスト10に入るレスラーだった事は間違いない、超獣コンビは選手として全盛期当時NO1コンビだった事は間違いない。

[匿名さん]


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