🇯🇵100条委 100害あって 一利なし🧚 (ΘдΘ)
[匿名さん]
簡単に諦めてはいけない
市民のため
全国のDV対策へのモデルケースを確立すべきだ
責任重大
協力は惜しまない
[匿名さん]
今年は示現舎へしっかり返答しないとね。
市秘書課を通じて盆野副市長に再三、説明を求めたがこれまで返答はなかった。百条委員会の開催にあたり改めて盆野副市長に事実関係の確認とコメントを依頼したが「警察への相談等で市長、副市長ともにお話できる状況ではありませんのでご容赦ください」(秘書課)ということだった
[匿名さん]
トップが逃げ回って恥ずかしくないのか。なさけない奴やの。
[匿名さん]
No.2の器なのか?どんどん職員のレベルもヤル気も落ちとるらしいが、悪い影響が大きいんやないんか?
[匿名さん]
市長はさておき、幹部の関わりや全体的な責任を取って、この人が辞めやんと収まらんでしょ?最後くらい潔く辞めてほしいわ!
[匿名さん]
環境パトロールって何ですか?
こんな物に公金が支出されてる事が異常でしょ?w
誰の為の何の為のパトロールですか?
相手さんはゴミですよw
それも年間に1千万って!ハハハ!バカげてますねwww
こんなんじゃ津市政は何でもありだわwww
[匿名さん]
この自治会長問題は弊社内部でも「誰か一人の責任にしない」またマスコミや一部ジャーナリストのような「制裁報道」をしないという方針を取っていた。だから辻市議についてもこのコメント以上の追及はしないつもりでいた。しかしこの辻市議の話は全く違っていた。
土下座強要の原点に盆野・辻両氏が関与
話は7年前の夏に遡る。田邊会長は様々な議員に圧力をかけてきたがある元市議もそのターゲットになった。周辺の情報をまとめると同氏が相生町など市内の同和地区について触れたブログを投稿したという。しかし市議として同和地区、同和施策について言及することは不思議ではない。そもそも侮蔑した内容でもなかった。しかしこれに田邊会長が噛みついたというわけだ。要する「同和に触れること自体が差別」と強弁する手法である。
「田邊会長が話があるというので議会の会議室に行くと同氏の他、職員が15~20人ほどいました。誰がいたのかははっきり記憶がありませんが盆野副市長は同席していたと思います」(元市議)
この時、田邊会長が納得する対応ではなかったためその後、議場でもヤジが飛んだ。
その結果、別の元市議、そして辻市議の仲介を経て田邊会長に謝罪させられてしまう。つまり辻市議は今年8月よりはるかに前から田邊会長と面識があったのだ。そして議員を威嚇し屈服させるというやり方はこの一幕が原点、とみる市政関係者は少なくない。
いずれにせよ辻市議の説明は全くの嘘。それも元田邊派の市政関係者によれば
「なぜか辻市議が“私が話を収める ”と割って入ってきたんです」
と振り返る。おそらく「田邊会長と懇意」と周辺に示すことで「自身を箔付けしようとの狙いがあった」(前出市政関係者)との推測だ。この点について辻市議に再確認しようとしたが応じる気配はなかった。
そして盆野副市長についても百条委員会で追及せよとの声はとにかく強い。
[匿名さん]
こいつもう終わりやろ
他所も真似できるって事じゃん?
[匿名さん]
三重よろずやさんも追及しないのかな〜 他の件では役所に電話しまくりなのに!
[匿名さん]
盆野は観念。
荒木は通念。
田矢は信念。
稗田は定年。
桂三発どないやねん。
[匿名さん]
B氏曰く『俺を怒らせたら怖いってことお前よう知っとるやろ?』こんな発言を日常的会話で職員にしますか?これでは『パワハラ』通り越して『脅迫』ですやん?あくまで権力に対しては媚び、職員に対してのパワハラは日常茶飯事。これこそがB氏の本性です。御上の苛立ちもお察しいたします。
[匿名さん]
日蓮聖人はエタの子なりという事
日蓮宗の宗祖日蓮聖人はエタの子なりという説がある。いわゆる特殊部落の人々の書いたものや、或いはその親しく語るところによると、某大臣は我が党の士である、某将官も我が党の士である、某々名士もまた我が党の士であるなどと、しきりに我が党の成功者を列挙するものの中に、歴史的の偉人としては、いつも日蓮聖人が数えられて、それをいわゆる部落民の誇りとしているのである。
日蓮を以てエタの子なりということは、実は近ごろになって始まったものではない。既に古く「大聖日蓮深秘伝」というものがあって、父は房州小湊近郷の穢民で名は団五郎、母は同州小湊浦の漁夫蓮次郎の女むすめで名は長と、その名前までが立派に掲げられて、彼はエタの如き賤者の子と生れながらも、かく宗教上の一大偉人として尊信せらるるに至った偉大さに、随喜渇仰したげに書いてあるのである。そしてその団五郎なるものは、後世のいわゆるエタと同じく、皮剥ぎ沓作りを職としたもので、聖人も少年の時には、自らお手のものの獣皮で鼓を張って、嬉戯にも軍陣の真似をなされたのだとか、日蓮宗に団扇太鼓を打って題目を唱えるについては、戦法において鐘は退くの器、大鼓は進むの器なるが故に、父団五郎がみずからお手のものの太鼓を張って、これを日蓮に贈ったのだなどと、エタという事に付会して、とんだ起原説までが書いてあるのである。なおまた日蓮は穢民の家を捨て、母の縁を尋ねて漁家の種族と名のったのだとか、それは世の侮を防ぐ孝心の結果であるのだとか、余程穿ったところまで書いてあるのである。
[匿名さん]
この書は表面日蓮遺弟の、いわゆる六老僧なるものの連名著作となっておって、しきりに日蓮の聖徳を讃嘆したげに見せかけながら、内実は裏面から甚だしくこれをそしったもので、おそらく彼によって念仏無間と罵られた仇討に、徳川時代もおそらく末に近い頃になって、浄土宗の側の人の手になされた悪戯だと思われるが、それにしても彼がエタの子であるということを、繰り返して自慢気に云っておるところに、もともとどんな拠よりどころがあるのであろう。
右の「深秘伝」は為にするところあっての偽作として、しばらくこれを問題外におくとしても、日蓮をエタの子だと云ったものは他にもかなり多いのである。既に「大日本史」にも、「日蓮安房人、屠者子」と云い、「挫日蓮」には日蓮が[#「日蓮が」は底本では「日題が」]「閑邪陳善記」にも、日蓮が旃陀羅の子なることには、閉口して争わなかったと云い、同書また日蓮の「秋元書」に、身延退隠の事を述べて、「木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし」とあるのを引いて、「けだものゝ皮を剥ぐ、日蓮エタの子のしるしなり」などとまで論じているのである。そのほか平田篤胤の「出定笑語」の類に至っては、口を極めてそのエタの子なることを吹聴し、これを悪罵しているのである。これ果して何に基づいたものであろう。
日蓮がエタの子であるということは、実は彼自身の筆に見えるところが唯一の見方である。自分の寡聞なる、未だその以外に何らの史料のあることを知らないのである。彼は文永八年十月佐渡流罪の折に、円浄房へ遣わしたという「佐渡御勘鈔」において、
日蓮は日本国東夷東条安房国海辺の旃陀羅が子なり。いたづらに朽ちん身を法華経の御故に捨てまゐらせんこと、豈に石に金をかふるにあらずや。
と、自己の素姓を書いておられる。また翌九年三月弟子檀那御中に宛てたいわゆる「佐渡御書」にも、
日蓮今生は貧窮下賤の者と生れ、旃陀羅が家より出でたり。心にこそ少し法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸して赤白二諦とせり。其の中に識神をやどす。濁水に月の映れるが如し。糞嚢に金を包めるなるべし。心は法華経を信ずる故に、梵天帝釈もなほ恐れと思はず。身は畜生の身なり、色身不相応の故に愚者のあなづる道理なり。心も又身に対すればこそ月金こがねにもたとふれ。
[匿名さん]
盆野は観念。
荒木は通念。
田矢は信念。
稗田は定年。
桂三発どないやねん
[匿名さん]
www.youtube.com/watch?v=U-sW-_KaQz8&feature=emb_logo
出ました三重県津市
[匿名さん]