>>64
まさに自己陶酔そのものです
以下に下諏訪自称牧師が書いた、余りにも幼稚な己の信仰擁護について転載します
内容は単純に創造論を肯定したいがための進化論否定です
↓
“では、進化論を信じないとすれば、何を信じるのでしょう。それは、全宇宙と生命を創造した存在(つまり神。ある人はそれをサムシンググレー トと呼ぶ)です。進化論に対して、これをID論(インテリジェンス・デ ザイン論)、創造論などと呼びます。
それは宗教とか、信仰という世界のことであると分類されるでしょう。 しかし、進化論を受け入れるなら、それもまた信仰なのです。進化論を実証することは不可能です。誰も生命を作り出すことはできませんし、実験もできません。過去に起こったことを確認することは困難です。つまり進化論にしても、それを信じるか、信じないかという選択が必要なのです。(中略)
世界を創造した存在で ある神がおられることは、自然と理解できます。それはとても論理的で自然な理解であり、人間の思考にマッチするものです。美しいビーチに、砂で形成された見事なお城がある場合、それが波によってではなく、人間の手によってできたものである、とほとんどの人が理解するのと同じです。つまり、神の存在というものは、実は信心だけではなく、論理によっても 明確に実証されるのです。
つまり、進化論とは一度神の存在を思考から除外し、神抜きで世界の成 り立ちを考えようとし、そのために世界にある様々な現象や物質をその証拠として提示したものです。しかし、生命と自然世界の美、複雑さ、機能 性、その力強さは、むしろ創造主である神の存在を証しします。
しかし、人間は神の存在を否定し、自己中心になり、神を抜きにし、全てを自分で決定する人生こそ、理性的であり、幸福な人生であると考えま した。聖書はそれが人間の罪であり、神はその罪に対して怒りを現すと語 っています。”