日本では2流レスラーの印象だったがアメリカでは評価の高い選手だったというのが意外。
[匿名さん]
それなりに強かったのかな
誰位強かったなんか?
例えばだけれども
[匿名さん]
確か全日の新春バトルロイヤルで最後の2人にまで残った記憶がある、当然負けたけど。
[匿名さん]
元プロレスラー アイアン・シークことコシロ・バジリ氏が死去 81歳
WWFでホーガンらと抗争のトップヒール 新日本などにも参戦
6/8(木) 7:08配信
米プロレス団体のWWEは殿堂入りも果たしているWWF時代の人気レスラーで、
アイアン・シークのリングネームで活躍したコシロ・バジリ氏が
7日に亡くなったことを発表した。81歳だった。
イラン出身のバジリ氏は米国に亡命後、プロレスラーとしてデビュー。
70年代後半にアイアン・シークと改名してヒールに転向。
WWFのトップ・ヒールとしてハルク・ホーガンらと抗争を繰り広げるなど活躍し、
WWFヘビー級王者にも輝いた。新日本や全日本にも参戦した経験がある。
WWEは「悲しみにくれています。堂々とした体格、カールしたブーツ、
恐ろしいキャメルクラッチのフィニッシュホールド。
アイアン・シークは並外れたキャラクターと世界中の人々を扇動する天性の才能により、
スポーツエンターテイメント史上最大の悪役の1人に成長しました。
WWEは、アイアン・シークの家族、友人、ファンに哀悼の意を表します」と、偲んだ。
[匿名さん]
元々アマレスの猛者で
新日本に来た1980年、凶器シューズを履いた悪役なのに
正統派のレスリングスタイルだったことを覚えています。
打点の高い綺麗なドロップキック、鮮やかなサイドスープレックスなど
見た目のイメージとは違い見事でした。
[匿名さん]
もしバジリが20歳若かったら、総合格闘技に挑戦していた気もする。
1976年、全日本プロレス参戦のために来日したときには、
道場マッチで木村政彦の一番弟子だった岩釣兼生を下からの腕関節で仕留めたという逸話も残っている。
[匿名さん]