5月23から25日にかけての阪神対巨人。
「伝統の一戦〜THECLASSICSERIES〜」と銘打たれたカードで、阪神の選手は漆黒の復刻ユニフォームに身を包みプレーした。
思わず二度見してしまう何とも違和感のあるユニフォームだが、近年ではおなじみになっており、「ダイナマイト打線」時代の復刻であることも認知されているだろう。
阪神の「ダイナマイト打線」といえば、1985年に日本一になった打線がよく知られている。
真弓明信、バース、掛布雅之、岡田彰布を擁して伝説的に打ちまくった。
しかし、当時の阪神は漆黒のユニフォームではない。
この復刻の元になっているのは、1948年から1949年にかけての大阪タイガース時代の「初代ダイナマイト打線」である。
今年のユニフォーム発表で球団担当者は「ダイナマイト打線のイメージがあるので……」とコメントしているが、具体的にイメージできていたのかは定かではない。
そんなわけで、聞いたことはあるけど知らない「初代ダイナマイト打線」のラインナップを調べてみた。
■1947年「ダイナマイト打線」主なスタメン
1(中堅):呉昌征115試合:打率.267/1本塁打/28打点/40盗塁
2(右翼):塚本博睦106試合/打率.300/0本塁打/34打点/17盗塁
3(左翼):金田正泰109試合:打率.311/2本塁打/52打点/19盗塁
4(三塁):藤村富美男119試合:打率.274/2本塁打/71打点/10盗塁
5(捕手):土井垣武116試合:打率.259/2本塁打/47打点/16盗塁
6(二塁):本堂保次112試合:打率.283/2本塁打/62打点/10盗塁
7(一塁):玉置玉一112試合:打率.241/3本塁打/33打点/1盗塁
8(投手)9(遊撃):長谷川善三104試合:打率.193/0本塁打/29打点/4盗塁
これが初代「ダイナマイト打線」である。
なんとも言い難い微妙な数字であるが、当時は、戦後まもなくでボールやバットも粗悪だったことを忘れてはならない。
前年に日刊スポーツの高山方明が衝撃を受けて命名したといわれており、このラインナップで優勝を果たした。
「○○打線」と愛称が付けられたのは初と言われている。
しかし、黒のユニフォームの「ダイナマイト打線」となると実は違う。
黒のユニフォームは1948〜49年のそれもビジター用のユニフォームなのだ。
となると「イメージ」は1949年の方が正しいのかもしれない。
1949年のラインナップはこれだ。
■1949年「ダイナマイト打線」主なスタメン
1(中堅):後藤次男125試合:打率.300/10本塁打/40打点/29盗塁
2(左翼):金田正泰133試合:打率.302/10本塁打/63打点/21盗塁
3(右翼):別当薫137試合:打率.322/39本塁打/126打点/13盗塁
4(三塁):藤村富美男137試合:打率.332/46本塁打/142打点/12盗塁
5(捕手):土井垣武126試合:打率.328/16本塁打/86打点/4盗塁
6(二塁):本堂保次76試合:打率.302/4本塁打/40打点/5盗塁
7(一塁):玉置玉一117試合:打率.281/7本塁打/59打点/12盗塁
8(遊撃):長谷川善三117試合:打率.219/3本塁打/30打点/7盗塁
9(投手) 粗悪球が改善され、やはり数字の迫力では「ブラックダイナマイト」が上回る。
命名された1946年から49年までの間、チーム打率は常にトップだった。
ただし、数字的な完成を迎えた1949年のシーズン順位が8球団中6位。
どうやら投手陣に火が燃え移ってしまったようだ。
あまり縁起のいいユニフォームではない感じもするが、その衝撃たるや“ダイナマイト”。
各地のファンに黒のユニフォームと強打の印象を残し、「○○打線」の祖になったのである。
【日時】2017年06月17日(土) 16:05
【提供】デイリーニュースオンライン