台風19号の影響で多摩川が氾濫し、二子玉川駅(東京都世田谷区)周辺が浸水した。
2019年10月12日の日本経済新聞によると、被害が発生したのは「もともと堤防がない場所」であり、国土交通省の河川事務所や世田谷区が「土のうを積んでいたが、隙間から川の水があふれ出したという」。
本件との関連で、「二子玉川の環境と安全を考える会」という環境保護団体に注目が集まった。
かつて、この団体が堤防建設に強く反対していたことが、今回の被害をより大きくしたのではないかという意見がネット上に続出。
そうであるならば、このたびの件は「人災」ではないかと、同団体を非難する声が相次いだ。そうした中で、同団体のホームページが削除されたという話題が広がった。
多くのまとめサイトが、今回の騒動の過程で団体がホームページを削除したと書いているが、それは事実ではない。
団体のホームページは、Googleのキャッシュやインターネット・アーカイブにも残っていなく、2008年に取得された「ウェブ魚拓」が存在するのみだ。
団体ホームページが削除された時期は定かではないが、そのURLが掲示板への書き込みやブログ記事から見つかっている。
それらはいずれも2000年代後半のものであり、少なくともその時期まではホームページが存在していたことが分かる。
その他、堤防建設に伴う環境の悪化を訴えた、団体の掲示物を撮影した画像等も出回っている。
もう一つの重要な論点が、団体による反対運動と今回の被害との関連性だ。
団体が堤防建設の見直しを求めた地域は、玉川1丁目だった。
一方、浸水したのは駅付近及び兵庫島公園一帯だ。
このことを理由に、団体の反対運動と今回の被害は「無関係」と否定する声もある。
しかし、過去の歴史を探ってみると、事態はより複雑であることが判明した。
2012年の第39回土木学会関東支部技術研究発表会にて、「市街地の変容と築堤の関係にみる無堤地区の形成史」という発表が行われている。
その資料によると、1910年代に当該地域では、景観保護を理由に料亭が堤防に反対した。
堤防は現在の多摩堤通り沿いに造られたが、洪水時の立ち退きを条件に、料亭は堤防外に留まることを認められた。
1970年代には、かつて料亭のあった地区と多摩川との間に新たな堤防を造る計画が浮上するが、住民の反対を受けて実現しなかった。
2000年代には住民との勉強会等が行われ、新たな堤防の建設が進められるはずだった。
だが、「二子玉川の環境と安全を考える会」をはじめとする住民たちが強く反対を主張。
堤防の工事を阻止しようと現場に立ち入ったり、看板を立てて抗議したりするなどした。
また、現地では不法占拠の問題も発生していたという。
この件については、国土交通省の関係者が「世田谷区玉川一丁目地先における不法工作物の撤去に向けた取り組み」という文書にまとめている。
それによると、問題になったのは「国有地にはみ出して新築された建物と、東京都が多摩川を管理していた時代に築造された建物を国有地にはみ出して増築したものである」。
必要な法的手続きをとることを不法占拠者側に伝えた結果、最終的に「不法工作物」は撤去されたとのことだ。
こうして、新たな堤防が造られることになる。
これは、「新堤防」と呼ばれている。
ちなみに、国土交通省は今年6月、「無堤部解消プロジェクト」の会合で、今回の被害が発生した一帯の堤防整備の必要性を説いていた。
当サイトでは、国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所に話を聞いた。
応対した担当者は、この事務所に勤務するようになって日が浅いため、「二子玉川の環境と安全を考える会」による反対運動の当時の状況は把握していないそうだ。
ただし、新堤防には反対派の意見も反映されており、当初の建設計画よりも低くなったことは事実だという。
以上のように、この地域では長期間にわたって反対運動が繰り返し行われており、「二子玉川の環境と安全を考える会」の活動はその歴史の一部を成していると言える。
したがって、2000年代に展開された同団体による反対運動だけに着目してその是非を問うならば、問題の全体像を見失うことになりかねない。
【日時】2019年10月14日(月)
【提供】探偵Watch