>>496
会社は44の時に倒産。
ハローワーク行っても仕事無くて契約社員で某大手宅配会社で運転手やっていましたが、仕事が過酷で次の出勤まで5、6時間しか空かないとかザラでした。
寝不足で路地で子供を跳ねてしまう事故を起こし退職しました。
一時期、会社相手に訴訟を起こそうと考えましたが、事故処理で私に請求は一切無かったので黙りを決めて会社を去りました。
48の時です。
田舎が富山なので帰ってきましたが、地方は東京以上に仕事が無く、50目前の私には道路誘導員の棒振くらいしか仕事がありませんでした。
倒産した会社からの退職金、貯金を叩いて実家跡地に新居を建てましたが毎月の支払いはかなりキツイです。
月1、ここの60分コースを利用するのがやっとです。
それも1日2食、休みの日は1食と切り詰めて。
ここに遊びに行く、月1日だけはちょっとした贅沢をします。
遊んだ後、加賀温泉駅近くのココスでの食事。
東京にいた頃は湯水の如くお金を使って遊び、足りなければ消費者金融から摘まんで遊んでいました。
僅かな遺産は全て借金返済に充て、残ったのは猫の額程の土地でした。
これだけは手放してはいけないと思い、新居を建てましたが人手に渡ることなく住み続けていけるか不安です。
労働者家系に育った父親の血を多く引いたのか50になっても一週間でタマ袋がパンパンになります。
いつもゴムの中の液量を“立派よぉ〜”と言われる始末です。
自宅でクビを吊り、死ぬことを何度も考えましたが、これまでの人生を振り返ると悔しくて死にきれなくなります。
この先、これからと変わることのない人生を生きる意味があるのか考えると死ぬべきなのでしょうか。
青色の作業服にヘルメットを被り、マスクを掛けて棒を振っている自分の姿を見ると情けないです。
先日、片側交互通行帯で誘導を行っていた時、制止する私に高級車が物凄いスピードで突っ込んできました。
私は飛んで避けたのですが、運転席から“アホがぁ!先に通せやボケ!”と怒鳴られ、唾を吐き掛けられました。
助手席には綺麗な女性が乗っており、私を見下す様な薄笑いを浮かべていました。
世の中の最底辺で這いつくばって生きている自分の人生に果たして価値はあるのか考える毎日です。