近江といえば2016年には、予選でセンバツ8強の滋賀学園を下した上に、滋賀予選無失点の京山(横浜)がいたが、多賀メンバーはなぜか京山を先発させずに初戦で常総学院に大敗w
[匿名さん]
秀岳館やな
甲子園のベスト4で3回もすべて格下の学校に惜敗は情けない
[匿名さん]
去年の大阪桐蔭
キックされたとしてもキック英から1点しか取れなかった
[匿名さん]
野々村監督はジャイアン2年の春夏で上位に勝ち上がりたかったんだろうな。
[匿名さん]
82年選抜の上尾(埼玉)・日野伸一投手。
70回連続無失点中だったが初戦でいきなり
候補・箕島(和歌山)と対戦したのが不運だったかなぁ。
機動力に欠けるきらいはあったが、投打は揺るぎなく
浮上しておかしくないチームだった。
[匿名さん]
「普通にやれば勝てるのに箕島を意識してあんなことした」全員完全丸坊主で試合して負けた後の野本監督のコメント
[匿名さん]
その夏は上尾も箕島も甲子園を逃したが、熊谷が南部を倒して埼玉和歌山対決に関してはあっさりとリベンジを果たしたというw
[匿名さん]
84年センバツ出場・法政二(神奈川)は「東の横綱」といわれたが今一つの結果に終わってしまった。
広陵(広島)に10-2と勝利したが、大石監督に言わせると「詰めが甘い。15点は取れていた。投手にしても配球に工夫が足りない。
球の切れも今一つでスピードでごまかしているだけ。こんな野球では上位へは進めない」と険しい表情で語っていたのを憶えている。
不安が的中し、拓大紅陵(千葉)戦では2-10と同じスコアで逆に大敗してしまった。
「週刊ベースボールセンバツ速報号」のコラムには「意外にもろかった東の横綱」と載ったほどだった。
大石監督は試合後「夏も来るから砂は拾うな」と言ったほど意気込んで臨んだ夏だったが、
白山に3-1と苦戦し、野呂雅之監督が就任していたとはいえ当時は新興勢力だった桐光学園に早々と敗れてしまった。
春季関東大会でもエース山本正幸が取手二(茨城)と岩倉(東京)に大量失点を許していた。
調子が上がらず、その状態のまま夏を迎えてしまったのだろうか?
本人は「センバツ・ボケという言い訳はしません。夏は勝ってみせる」と意気込んでいたが・・
[匿名さん]
80年センバツ出場・上宮(大阪)も近畿大会優勝チームとして乗り込んだが、
富士宮北(静岡)に競い負けし、初戦を突破できなかった。
好投手・柚木、西原忠善(中央大-河合楽器-山形・酒田南元監督-
神奈川・武相元監督)などの好選手がそろっていたが・・
[匿名さん]
79年夏、相可(三重)に初戦で敗れた鹿児島実。鹿島忠(のち中日)を擁して九州ナンバー1の声だった。
81年春、東山(京都)に初戦敗退した早稲田実(東京)。「東の早実・西のPL(大阪)」と言われ期待が高かったが
荒木大輔(のちヤクルト-横浜<現・DeNA>-日本ハム投手コーチ)が不調で降板し、初戦で敗退。
84年夏、鹿児島商工(現・樟南 鹿児島)に0-5で敗れた拓大紅陵(千葉)。関東の雄としての評価だったが候補・鹿児島商工と
対戦するクジ運の悪さもあり初戦敗退。春は智辯学園(奈良)、法政二(神奈川)を下しベスト8まで進んたチームだった。
同年、長浜(滋賀)に初戦で敗れた大船渡(岩手)。春は明徳義塾(高知)を倒す金星などでベスト4の「大船渡旋風」。
夏も期待されたが15安打しながら3点しか取れない拙攻が響き3-4でまさかの敗退。
「いつでも点が取れる」と思い、集中力を欠いていた。
[匿名さん]
第18代うち🐥(🐥三重🐥)
チーム打率5割とか初めて見たが、1勝のみ
2016山梨学院や2005青森山田と違って雑魚での打率稼ぎすらなかったし、
最近の🐥三重🐥は出場すれば、必ずベスト4とか行ってたから
かなり期待していた🐥🇰🇷
[匿名さん]
個人のことになってしまい恐縮だが、
82年選抜出場の千葉商大付(千葉)・平沼定晴(のち中日-ロッテ)。
前半は球が走っていたが、二廻り目あたりから意識して力んでしまい、
尾道商(広島)の執拗な打撃に屈してしまった。
ただ、このチームはもともと打線が非力で(チーム打率が2割3分ぐらい)
総合力ではあまり強力とは言えなかった。
[匿名さん]
2001年夏の日南学園。
寺原隼人のいたチーム。
優勝狙えたのに!
[匿名さん]
立命館宇治の北川は故障してたの?
予選、甲子園ともに登板なし
十川も甲子園ではひどかったし完全に期待外れ
[匿名さん]
智弁学園
格下相手のタイブレーク勝ちに、徳島商戦の1試合7失策
[匿名さん]
82年選抜出場の上尾(埼玉)。
70イニング連続無失点の日野伸一(東洋大-Honda)や巨漢の
長距離砲・富田篤という投打に強力な柱がいて候補の一角だった。
相手が3年前の春夏連覇、2年前は
選抜優勝校・高知商(高知)を下して
ベスト8入りした箕島(和歌山)が
相手だった。苦戦するとは思った。
だが、思わぬ大差になってしまった。
[匿名さん]
2019夏のうちの高校
2回戦で優勝校に負けたので、当然、茨城国体にも出場出来なかったが、実力的にはベスト4くらいあった
[匿名さん]
2002春の二松学舎大附
秋季大会は6試合18本塁打もセンバツでは弱かった
[匿名さん]