>>971
1997年、吉田義男監督の下、前半は主に三塁手で、後半は二塁手として1軍に出場し、1年目から97試合に出場した。出場機会の無い試合も常に1軍ベンチから試合を観察できたため、それが2年目に生きたという[5]。
1998年、前年オフのトレードで放出された久慈照嘉に代わって2番遊撃手レギュラーとしてほぼ全試合に出場し、打率.293、本塁打7本、44打点を記録した。
1999年、野村克也監督が就任し、前半は引き続き遊撃手レギュラー、後半は二塁手レギュラーで起用されるが、打撃成績は打率.252、本塁打6本、打点39と前年を下回る成績で終わった。
2000年、更に不振に陥りレギュラーを剥奪される苦しいシーズンとなった。40試合の出場で打率.212に終わった。