超大型ヤード(造船所)を武器に大量受注をさらう韓国、低船価で追い上げる中国に対し、数年前には「日本の造船所は高付加価値船で差別化するべきだ」との論調が主流派だった。日本の大手造船はLNG船やブラジルでの海洋構造物事業、客船など難しい工事に手を出したが、結果は惨敗。造船所の縮小は敗戦処理の一環だ。
[匿名さん]
三菱重工業は主力の長崎造船所香焼工場(長崎市)を大島造船所(長崎県西海市)に売却する方針を固め、商船は下関造船所(山口県下関市)のフェリーなどを中心とする構造改革を断行する。
[匿名さん]
三井E&S造船(東京都中央区)は、千葉工場(千葉県市原市)での商船撤退の決定に続き、創業の地である玉野艦船工場(岡山県玉野市)の艦船事業を三菱重工に譲渡することを決め、国内の新造船事業からは実質的に撤退する方向だ。
[匿名さん]
現代重工業など韓国造船大手3社が中東カタールから合計2兆円規模のLNG船を大量受注することが分かった。中国造船最大手の中国船舶集団にも3000億円規模が発注されるという。海洋事業の失敗で経営が傾いた大宇造船海洋への韓国政府の支援が問題視されるが、韓中ヤードの力は強い。19年には韓国と中国で、各1、2位企業が統合に合意。統合2社の世界シェアは約4割に達する。
[匿名さん]
翻って日本。2年分が安全水域といわれる手持ち工事は目下1・2年分程度に枯れ、操業ダウンを余儀なくされる。勝ち筋をどこに見いだせば良いのか。世界の海上荷動き量はリーマン・ショック後の09年に前年比で減少したが、基本的には世界経済成長率と連動して増加し、一定の新造船需要がある。
[匿名さん]
焦点は環境規制だ。国際海事機関(IMO)は50年までに温室効果ガスの排出量を08年水準の半分に削減する目標を掲げる。従来技術の延長線では達成できず、IoT(モノのインターネット)や人工知能(AI)を駆使した最適航路設定、新素材の採用、自動操船など勝負の土俵が変わる公算が大きい。
[匿名さん]
国土交通省がまとめた「海事産業将来像検討会」の報告書。企業間連携・統合の促進やデジタル化に対応した産業構造への転換、官公庁船分野の海外展開などが示された。政府系金融機関による出融資の活用検討など踏み込んだ内容だ。
[匿名さん]
造船、海運、舶用機器などという従来の海事クラスターにとらわれず、IT企業や港湾事業者などバリューチェーンを進化させなければニューノーマル(新常態)の世界では生き残れない。造船業の国内就労者数は約8万人。大胆な改革を進めなければ雇用は失われ続ける。
[匿名さん]
JMUの商船建造撤退は地域に大きなダメージを与えます。
「どんな産業も下火になればやめざるを得ない。一定の理解はしている。ただ日本の造船業は技術力は高いが設備投資の遅れで世界と戦いづらくなっているように思う」
[匿名さん]
事業所の7割近くが空きます。
「洋上風力発電設備を建造できる製造業の誘致を目指す。国家事業として2—3年以内に構想を示してもらえるよう働きかける。雇用を生み、造船業の技術力を生かせる産業を誘致したい。干満の差がほとんどなく、津波に強い舞鶴港は積み替え港としても格好だ」
[匿名さん]
市としての雇用政策は。
「JMUと協力会社の従業員の雇用を確保できるよう万全を期す。商工会議所などと連携し、再就職希望のJMU従業員を対象に市内事業所説明会を開くほか近隣市町の企業にも協力を呼びかける。雇用する企業には国の労働移動支援助成金を活用してほしい」
[匿名さん]
日立造船が建設運営を担う予定だったパーム油発電所立地計画が断念されました。
「スポンサーさえいればやってみたい。パーム油にこだわらず工業用地としてあの場所を利用できるような企業を誘致したい。まちづくりに稼ぐ場所は必要だ」
[匿名さん]
不安に揺れる港湾都市舞鶴、雇用はどうなる?
ジャパンマリンユナイテッド(JMU)が舞鶴事業所での商船建造を終了するまであと1年。京都府、舞鶴市は関係機関を招集した「JMU舞鶴事業所対策連絡会議」を共催し、雇用対策などに力を注いでいる。日本海側の国防の要として約120年にわたり海洋国家を支え続けてきた港湾都市が揺れている。
[匿名さん]
2020年2月4日、舞鶴市役所。舞鶴市の多々見良三市長はJMUの千葉光太郎社長と向き合っていた。JMUによる前日の撤退発表を受け、多々見市長は「存続のために何かしたんですか」と切り出し、千葉社長は「国とも掛け合ったが解決策が得られなかった」と返したという。
人口約8万人の小都市、舞鶴市にとってJMU舞鶴事業所の存在は極めて大きい。商船では中型のバラ積み船やタンカーを建造し、建造能力は年間6隻前後。金属加工や塗装、電気、運輸など幅広い市内関連企業を束ねる基幹産業として地域産業をけん引し、ベトナム人研修生を含め550人(20年1月時点)が働いている。
[匿名さん]
人口約8万人の小都市、舞鶴市にとってJMU舞鶴事業所の存在は極めて大きい。商船では中型のバラ積み船やタンカーを建造し、建造能力は年間6隻前後。金属加工や塗装、電気、運輸など幅広い市内関連企業を束ねる基幹産業として地域産業をけん引し、ベトナム人研修生を含め550人(20年1月時点)が働いている。
舞鶴市の製造業事業所数は漸減傾向にあり、15年の115事業所から18年には102事業所に減少。一方、製品出荷額は1812億円と、バラつきがありながらも近年は増加傾向で推移してきた。JMUが商船事業から撤退すると情勢は大きく変わる恐れがある。
[匿名さん]
舞鶴商工会議所が2月に会員企業を対象に実施した緊急アンケートによると、約4割が売り上げに影響があると回答。このうち対応策がある事業所は1割に満たなかった。最も緊急を要する支援内容について「新規受注先」と回答した事業所が最も多かった。
[匿名さん]
「舞鶴のモノづくり技術が消滅する危機。撤退を撤回してほしい」「より一層の沈み込みのきっかけになる」「JMUの配転で下請け事業者が追い出され従業員への影響が出ることは避けて」など不安視する意見が出た。
舞鶴市は今後、同商工会議所やハローワークなどと連携し、市内企業と、同市内で転職を希望するJMU従業員とのマッチングイベントを開くなど、積極的に雇用対策に取り組む。さらに洋上風力発電設備の建造を誘致するほか、舞鶴港を再整備し、トランシップ(積み替え)港としての機能強化を図るといった構想を、国家事業として進めてもらうべく、今後国に要望を伝える方針だ。
[匿名さん]
ドック1つ、年6隻では中国に絶対敵わんよ
Googlemapで見たら分かるけど工場の規模が違い過ぎる
[匿名さん]
多々見市長は「国土交通省や京都府などと連携した舞鶴港の機能強化やエネルギー拠点化に向けた施策を推進する」という。また、京都府北部5市2町の圏域があたかも一つの30万人都市圏として機能するための広域連携の必要性を訴える。
JMUが舞鶴事業所での商船建造を終えるまでに残された時間は少ない。地域経済活性化に向け、市長のリーダーシップが一段と求められる。
[匿名さん]
官民を挙げて自動運航船の開発が進んでいる。国は2025年の実用化を目指すとともに、国際的な規格や安全基準の策定をリードすることで、世界で自動運航船の主導権を握りたい考えだ。6月には日本財団によるさらに先進的な無人運航船の実用化の取り組みが動きだした。造船、海運、舶用工業がそろう、わが国の海事クラスターの強みを生かし、海洋国家とモノづくりの復権に挑戦する。
[匿名さん]
1956年以降、半世紀近くにわたり世界シェア首位を維持してきた日本の造船業。2000年代になり台頭する韓国・中国に抜かれ世界3位に転落した。
世界の造船市場は世界的な船腹過剰で厳しい環境にあり、新型コロナウイルスの流行による景気低迷も追い打ちをかけている。ただ、中長期では世界人口の増大と荷動き増加で市場も復調するとみられている。さらに世界の海事産業は海上輸送の安全性や効率性の向上、船員不足・高齢化、労働環境の改善、環境負荷の軽減など共通する課題を抱えている。この有力な解決策と期待されているのが自動運航船だ。
[匿名さん]
中韓勢の安値攻勢で苦境に立たされている日本の造船会社が大型再編に動き出した。国内造船首位の今治造船(愛媛県今治市、非上場)と2位のジャパン マリンユナイテッド(JMU、横浜市、非上場)が3月末、資本業務提携した。
今治造船が10月1日付でJMUが発行する新株を譲り受け、議決権ベースで30%出資する大株主になる。現在、約46%ずつ出資しているJFEホールディングス(HD)、IHIの持ち株比率は、それぞれ約32%に低下する。今治造船が第3位の大株主になる。
[匿名さん]
提携の第1弾として10月にも大型タンカーやばら積み船など液化天然ガス(LNG)以外の商船の営業・設計会社、日本シップヤード(東京・千代田区)を設立する。資本金は1億円。今治造船が51%、JMUが49%出資し、人員は両社からの出向者で500人規模となる。社長にはJMUの前田明徳取締役執行役員、副社長には今治造船の檜垣清志専務取締役が就く。
今治造船の建造量は450万総トン、JMUのそれは236万総トン。2社を合わせれば国内シェア50%を握るメガ造船会社が誕生するが、それでも世界シェアではわずか1割にとどまる。大型合併で巨大化する中韓勢の足元にも及ばない。
[匿名さん]
今治造船の檜垣幸人社長は都内で開いた記者会見で、「日本の造船業を残すため、いい品質で最先端の船を誰よりも早く造る」と強調した。JMUの千葉光太郎社長は「今治造船の規模、販売力と我々の人材や技術を融合すれば強い会社になる」とした。
[匿名さん]
「海賊の末裔」といわれる造船一族・檜垣家
今回の提携は、「地方の独立系」の今治造船と「大手重工系」のJMUという、これまで交わることはなかった2社が手を結んだことに意味がある。造船不況を象徴する“事件”だ。
JMUの成り立ちを振り返ると、1995年、石川島播磨重工業(現・IHI)と住友重機械工業の艦艇部門が統合して設立された。2002年、石播の海洋船舶部門が統合し、アイ・エイチ・アイマリンユナイテッドに商号変更した。同年、日本鋼管(現JFEホールディングス)と日立造船の船舶部門が統合してユニバーサル造船が発足した。13年1月、ユニバーサル造船を存続会社としてアイ・エイチ・アイマリンユナイテッドを吸収合併し、現在のJMUが誕生した。
[匿名さん]
ただ〜て〜も〜るん〜の〜こ〜こと〜し〜の〜流行〜語〜🎵
[匿名さん]
今治造船は非上場のオーナー企業ゆえに、その実態はほとんど知られていない。オーナーの檜垣家は謎の造船一族と呼ばれている。今治造船本体のほか、グループ・関連会社・取引先など檜垣一族の総数は100人になんなんとする。
[匿名さん]
愛媛県には檜垣家と並ぶオーナー企業、大王製紙の井川家があった。井川家は創業家の3代目がバカラ賭博に狂い、創業本家は経営の第一線から身を引いたが、大王製紙が井川家の一族郎党を養っている構図は変わらない。檜垣家は安土桃山時代に瀬戸内海を支配した村上水軍・来島家の家臣団がルーツといわれている。だから、「海賊の末裔」と呼ばれるのだ。
[匿名さん]
1901(明治34)年、檜垣為治が今治市内に檜垣造船所を創業したことに始まる。太平洋戦争の戦時下の国家統制で地元造船の6社が合併し、今治造船が生まれた。戦後、今治造船は仕事がなく、従業員も離散。現場総監督を務めていた為治の次男の正一は、息子(長男)の正司らとともに今治造船を飛び出し自分たちの造船所をつくった。その後、船大工の大半を失い休業に追い込まれた今治造船が支援を要請してきたため、正一は資本金30万円をかき集め、古巣に戻った。59年、正一が今治造船の社長に就任。これ以降、檜垣家がオーナーとなった。
[匿名さん]
1980年代には、三菱重工業、三井造船、石川島播磨重工業、日立造船といった大手造船会社が競争していた。今治造船の生産能力は大手造船会社の3分の1だった。
[匿名さん]
今治造船は瀬戸内海に数多くある地場の独立系の造船所の一つにすぎなかった。造船不況で大手がドックを削減し、新事業にシフトするなか、今治造船は経営不振の地場の造船会社を次々と傘下に収め規模を拡大していった。
[匿名さん]
実質創業者である正一の長男、正司が会長になると、正一の三男の俊幸が跡を継いで社長の椅子に座った。俊幸が今治造船を業界トップに押し上げる礎を築き、中興の祖と呼ばれている。
[匿名さん]
俊幸の現在の肩書はグループ社主である。2005年、俊幸の後任の社長の栄治(正一の五男)が亡くなり、幸人が43歳の若さで社長になった。幸人は俊幸の長男。慶應大学卒業後、三井物産に入社し、船舶部で2年間の修業を経て今治造船に入った。
[匿名さん]