>>864
○酒田南(山形)も西原忠善監督(神奈川・武相監督に転任)が
去ってから、8年間聖地から遠ざかっている。
4年連続出場を含む夏10回、春も1回出場がある名門。
それは甲子園ではあまり勝てないけど選抜優勝校・沖縄尚学、全国優勝を果たす明徳義塾、
古豪・龍谷大平安、同・智弁学園などの対戦があり、くじ運が悪いせいもあった。
本年あたりから同校で出場実績のある方が監督に就任し、復活を期している。
ユニフォームの縦縞が消え、イメージチェンジしている。
○日高高校中津分校(和歌山)も村民のバックアップがなかったら、
97年春だったか?あの初出場はなかった。
村民、監督、選手が一丸となった応援と健闘ぶりが好印象。
智辯和歌山という目の上たんこぶがあって大変だけど、また出場してほしい。
>>594
神港学園(兵庫)は84年春(当時・私立神港)が初出場でしたね。
激戦地の代表だけに隙のない攻守で一味違った初陣でした。
一番打者・田中選手の史上初開幕戦先頭打者アーチが印象的でした。
しかし、2回戦・都城(宮崎)戦直前にエース小間が肩を痛め、一球だけを投げ降板し
(メンバー用紙交換後は一球は放らないといけない)、後続の投手も打たれ敗れてしまいました。
北原監督も試合後、涙を流し「私も投手出身だから
彼の屈辱が痛いほどわかるのです」。
こういう監督さんだから出場してくるときは投攻走守に
バランスが取れ、そつのないチームを率いてきます。
明石商、報徳学園、神戸国際大附などのライバルがあり
困難ですけど、また出てきてほしいですね。