闘魂タオル DVDの販売などはこれからも続くからな
商売商売・・・猪木ミュージアムもよろしくな
[匿名さん]
だから力道山死んだ直後は
一時的に豊登がエースとして
やってたの知らんの?
[匿名さん]
力道山と豊登の悪い所を受け継いだ猪木
金に意地汚すぎた
[匿名さん]
あわよくば自分の手を汚さずに悪事を為そうとしてた感は拭えない
知ってて知らんぷりと言うべきか
[匿名さん]
付き合いある人は色んな煮え湯飲まされたとしても
あの満面の笑顔に騙されるというか許してしまうというか・・・らしい
[匿名さん]
はっきり言うと頭が悪かった
おだてに乗りやすい
あり得ない事を信じて大金をつぎ込む
[匿名さん]
新日本プロレスの坂口征二相談役(81)が発起人代表として開会を宣言。
そして来賓代表を務めたのが歌手の松山千春(67)だった。
プロレスファンなら意外に思った人も多いはずだ。
松山は筋金入りの“ジャイアント馬場派”として有名だったからだ。
式典では森喜朗元首相(85)、弟子の藤波辰爾(69)、古舘伊知郎アナ(68)らがスピーチしたが、
松山は来賓代表として献花すると、コメントを残すことなく国技館を後にした。
閉会からしばらくして話を聞くことができた。「馬場派の松山さんがなぜ」の疑問に
「日本プロレスを力道山さんが作られて、馬場さんと猪木さん、ずーっとライバルとしてやってたと
いう姿を見てきました」とBI砲の時代からのファンであることを強調した松山。
猪木さんとの交流は「もちろんありましたね」と話す。
1999年1月31日に馬場さんが亡くなってからも、馬場ファンに気遣い、猪木さんとの交流は公には見せてこなかった。
[匿名さん]
突然、猪木さんから電話がかかってくることもあったという。
「元気ですかー」
「どうしたんですか?」
「今、千春さんの実家の方(北海道・足寄町)を通ってますので、
一応ごあいさつだけはしておかないと」
「いや、そんなあいさついらないですよ。気をつけてくださいよ」
会話を振り返り「無邪気な人でしたね。あの無邪気さとあの情熱に
みんなひかれていったんじゃないですかね」と笑った。
「馬場さんと猪木さんは、天国で仲良くやってると思いますよ。
(興行戦争や引き抜きなど)過去のいきさつはいろいろあったとしても、
やっぱり同じプロレスで名を馳せた人間ですから」
1990年4月13日に東京ドームで開催された「日米レスリングサミット」時、
「俺が馬場さんの控え室にいた時、猪木さんが国会議員としてあいさつに来るわけですよね。
実に兄弟弟子というか。馬場さんが
『カンちゃん(猪木さんの本名・寛至)は葉巻吸うよな。これ一つ持ってけよ』って。
その時はもうそういう仲でやってましたから。お互いないものねだりだったんだと思いますよ」
と90年代の舞台裏を明かした。
[匿名さん]
英雄視されている北朝鮮とのパイプ使って拉致問題解決策を
何らかの形で進展させていれば
更に株が上がったのに惜しかった
[匿名さん]
最近延髄斬りを使うレスラーが居るがアントニオ猪木の様なフォームで延髄斬りを出来るレスラーは居ない
[匿名さん]
仮面ライダーガタックのライダーキックのフォームは美しい延髄斬り
[匿名さん]
アントニオ猪木は新間の作品
新間を切った後の猪木は別モノ
[匿名さん]
1982、3年ごろの会場は猪木教信者の集会のようだった
[匿名さん]