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綏靖天皇(スイゼイorダイジョウテンノウ)
中国三国時代の国家「呉」「魏」「蜀」について記された歴史古書「三國志」「綏靖四方(呉志)」中国文献に由来
「綏靖」の「綏」は107年頃の中国大陸の国家「後漢(ゴカン)」の「竇(トウ)太后綏」から引用か?
「綏靖」の意味は「安らかに落ち着く」「安んずる」
「綏」は「垂紐(タレヒモ)」
綏遠(スイエン)」
中国内モンゴル自治区の首都フフホトの旧名が帰綏(キスイ)
綏靖天皇は神武天皇の末っ子(日本書紀では第三子)とされる
阿蘇神社十二之宮主祭神は金凝神(カナコリノカミ)
金凝彦(カナコリヒコ)
綏靖天皇のこと
その他、大分日田と山賀にある金凝神社と今宮神社一之宮主祭神として綏靖天皇
等がある
無論、第二代綏靖天皇から第九代開花天皇までは「欠史八代」大日本家(オオヤマトケ)と呼ばれ、初代の神武天皇と合わせて、実在するか未詳だが、実在するとしたならば、ユダヤ教徒兼古代のイスラエル部族のエフライム族であると云われる
飛鳥時代までは「天皇」を「スメラミコト」と呼称され、八世紀後半に、青海三船若しくは淡海三船(オオミノミフネ)が神武天皇から元正天皇までの天皇(弘文天皇と文武天皇を除く)と神功皇后の漢風諡号(シゴウ)を一括撰進した
「釈日本紀」所引「私記」に記載されている
青海三船は弘文天皇の曾孫(曽孫・ヒマゴ)