1000
2019/01/16 22:04
爆サイ.com 山陽版

サッカー国内





NO.6525088

デッツォーラ島根③
報告 閲覧数 1206 レス数 1000

#9012018/12/20 00:51
松江シティFC サッカースクールとしてキッズ(年中・年長)小学を対象に、松江シティFCトップチームの選手・スタッフ陣が指導を行うサッカー教室を松江市総合体育館 (多目的広場/サブアリーナ/メインアリーナ)にて開催いたします。チームとしての活動はありませんので、クラブ所属選手の参加も可能です。

✴無料体験生募集中!※ご入会前に2回の無料体験が可能です。

スクールコンセプト
サッカーを通して豊かな人間性を育て、自立した選手を育成する

『PLAYER'S FIRST(はじめに選手ありき)』の概念です。
どうすることが子供たち(選手)にとって良いことなのか、子供たちの気持ちと将来を基準に考えます。
『チャレンジ精神』を育てます。
失敗を恐れない精神、自ら工夫し行動する精神。
失敗したことを指摘するよりも、チャレンジしたことを評価します。
『コミュニケーションの力』を育てます。
論理的に物事を考える力、自分の考えを相手に伝える力、相手の話を聞き取る能力を育てます。


✴サッカースクール 概要✴

■コース

キッズ (年中・年長)
16:30 〜 17:30

小学1・2年
16:30〜17:30

小学3・4年
17:45 〜 18:45

小学5・6年
17:45 〜 18:45

■開催曜日
毎週 火・木・金
入会金(入会時のみ)
10,000 円(ゲームシャツ代込)

■スクール月会費
週1コース(税抜5,000円)
週2コース(税抜8,000円)
週3コース(税抜10,000円)

■年会費(年 1 回)
8,000 円 (保険料込)

■練習場所
松江市総合体育館
(多目的広場/サブアリーナ/メインアリーナ)

[匿名さん]

#9022018/12/20 00:52
✴松江シティFC株式会社✴

役員
代表取締役 社長
鈴木 惠朗
取締役 会長
吉岡 健二郎
取締役 常務
坂田 克昌
監査役
岩田 薫

法人設立
2017年4月20日
所在地
〒690-0061 島根県松江市白潟本町30
TEL:
0852-67-2712
FAX:
0852-67-2713
Mail:
info@matsue-city.com

[匿名さん]

#9032018/12/20 01:52
✴松江シティFC 株式会社✴

職種 営業・運営・イベント企画
雇用形態 正社員
給与 月給 150,000円〜250,000円 ◆合計 150,000円〜250,000円 (その他の手当)家族手当
勤務地 島根県松江市
就業時間
① 09:30〜18:30
休日 土 日 祝 他
仕事内容 ・サッカークラブ運営に係る企画業務・スポンサー営業を担当する・チラシ製作、SNS対応を実施
経験
・企画営業の経験者                   ・パソコン操作(ワード、エクセル、パワーポイント、画像処理ができる方)
応募
連絡先 最寄りのハローワークまで(求人番号:32010-09185971)

[匿名さん]

#9042018/12/20 01:53
✴松江シティFC株式会社✴

役員
代表取締役 社長
鈴木 惠朗
取締役 会長
吉岡 健二郎
取締役 常務
坂田 克昌
監査役
岩田 薫

法人設立
2017年4月20日
所在地
〒690-0061 島根県松江市白潟本町30
TEL:
0852-67-2712
FAX:
0852-67-2713
Mail:
info@matsue-city.com

[匿名さん]

#9052018/12/20 10:36
田中 孝司(1955年11月2日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF、DF。

生年月日
1955年11月2日
出身地
埼玉県浦和市(現:さいたま市)

選手情報
ポジション
MF、DF

1974-1977
明治大学

1978-1988
日本鋼管/NKK

代表歴
1982-1984

監督歴
1993-1995
日本 U-20
1997-1999
名古屋グランパスエイト
2001-2002
湘南ベルマーレ
2016-
松江シティFC

明治大学を経て、1978年に日本サッカーリーグの日本鋼管サッカー部(のちのNKK)に入部。JSL1部で通算143試合出場を記録した。1982年1月16日のボカ・ジュニアーズ戦で日本代表として初出場した。なお、国際Aマッチで通算20試合3得点を記録して日本代表の主将も務めた。なお、1982年1月に行われた日本代表vsボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)との3試合で、ディエゴ・マラドーナとマッチアップ。試合後にはマラドーナとユニフォームを交換した。

1988年に引退後は1989年から1992年までNKKのコーチを務めた後、1993年にはU-18日本代表の監督を務め、1995年から名古屋グランパスエイトのコーチに就任した。この間、U-20日本代表の監督も兼務し、1995 FIFAワールドユース選手権でベスト8の記録を残した。1997年11月からは辞任したカルロス・ケイロスに代わり、監督に昇格した。1999年には呂比須ワグナー、山口素弘、楢崎正剛の3選手が加わり優勝候補とされていたが、選手の起用法からチームの輪が乱れ、成績も低迷。そしてシーズン途中に解任された。

その後、2001年から2002年までは湘南ベルマーレの監督、2004年から2005年まではベガルタ仙台のゼネラルマネージャーを務めたが、いずれもそれぞれのチームの成績不振を理由にその職を解任されている。ちなみに解任したのがいずれも小長谷喜久男。

[匿名さん]

#9062018/12/20 10:39
小長谷 喜久男(1950年7月16日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、Jリーグクラブフロントスタッフ。

生年月日
1950年7月16日
出身地
静岡県

明治大学卒業後、ヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入部して選手としてプレー。

引退後の1987年にヤマハの監督に就任。就任初年度の1987/88シーズンにチームを日本サッカーリーグ(JSL)1部優勝に導いている。ヤマハがジュビロ磐田へと移行した後はフロントスタッフとしてチームの躍進を支えた。

1999年11月からはメインスポンサーフジタの撤退で存続が危ぶまれていたベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)の運営を引き継ぐ新法人・株式会社湘南ベルマーレの社長に就任、3年半にわたり社長を務め、クラブの経営を立て直した。

Jリーグ・マネジメントアドバイザーを経て、2005年5月からはベガルタ仙台の運営法人・東北ハンドレッドの常務、田中孝司GM退団後の9月からはSD(シニアディレクター。他クラブでのGMに相当する現場部門のトップ)を務めていたが、成績不振と2006年に獲得した選手の移籍金回収も思うようにいかず、その責任をとる格好となり、2007年をもってベガルタ仙台を退団しJリーグへ復帰した。

所属クラブ
静岡県立藤枝東高等学校
明治大学
ヤマハ発動機サッカー部

引退後経歴
ヤマハ:コーチ
1987年-1991年 ヤマハ:監督
1992年-1999年11月 ジュビロ磐田:取締役
1999年11月-2004年5月 湘南ベルマーレ:代表取締役社長
2004年-2005年 Jリーグ・マネジメントアドバイザー
2005年5月- ベガルタ仙台(東北ハンドレッド):取締役常務
2005年11月-2007年12月 ベガルタ仙台:シニアディレクター
2008年- Jリーグ・マネジメントアドバイザー

[匿名さん]

#9072018/12/20 10:40
✴松江シティFC株式会社✴

役員
代表取締役 社長
鈴木 惠朗
取締役 会長
吉岡 健二郎
取締役 常務
坂田 克昌
監査役
岩田 薫

法人設立
2017年4月20日
所在地
〒690-0061 島根県松江市白潟本町30
TEL:
0852-67-2712
FAX:
0852-67-2713
Mail:
info@matsue-city.com

[匿名さん]

#9082018/12/20 12:43
✴松江シティフットボールクラブ✴
DF 下村 尚文選手 退団のお知らせ
2018年12月16日
この度松江シティフットボールクラブ所属のDF 下村 尚文選手が2018シーズン限りで退団することが決定しましたので、お知らせいたします。(2018年12月16日)

下村 尚文(しもむら なおふみ)
【生年月日】 1990年12月26日(27歳)
【背番号】 3
【ポジション】 DF
【出身地】 山口県
【身長/体重】 180cm / 72kg
【経歴】 下関中央工業高校 − 三菱水島FC − デッツォーラ島根
【在籍年数】 1年
【記録】     リーグ戦 12試合出場 3得点 天皇杯他 16試合出場 1得点

【コメント】
今年で退団することになりました。
チームでも目標にしていたJFL昇格を達成することができて実りのある一年になりました。
これからは松江シティの一ファンとしてJFLでも躍進することを期待しています!
1年間応援ありがとうございました!



今後の更なる活躍・飛躍をクラブ一同祈念しています。

[匿名さん]

#9092018/12/20 12:44
✴松江シティFC株式会社✴

役員
代表取締役 社長
鈴木 惠朗
取締役 会長
吉岡 健二郎
取締役 常務
坂田 克昌
監査役
岩田 薫

法人設立
2017年4月20日
所在地
〒690-0061 島根県松江市白潟本町30
TEL:
0852-67-2712
FAX:
0852-67-2713
Mail:
info@matsue-city.com

[匿名さん]

#9102018/12/20 18:57
◇木村 正明◇

岡山県岡山市出身。日本プロサッカーリーグ専務理事。Jリーグ・ファジアーノ岡山の運営法人であるファジアーノ岡山スポーツクラブの前代表取締役。

岡山大学教育学部附属小学校・中学校、岡山県立岡山朝日高等学校を経て、2浪の末に東京大学法学部へ進学

1993年、ゴールドマンサックスに入社。2003年、同社マネージングディレクター就任。2004年、当時NPO法人だったファジアーノ岡山の専務理事(現同クラブ取締役)を務めていた高校時代の友人・森健太郎から紹介され、ファジアーノとの交流が生まれる。2006年、Jリーグ加盟を見越したクラブの法人化にあわせ、社長就任

木村が社長に就任した当時のファジアーノは、資本金500万円に対し負債が1000万円超、スポンサーはわずか6社で、年間予算はわずか400万円(同年の営業活動により、最終的に1200万円)という、プロクラブとしての体をなしていない経営状況だった。営業努力により就任翌年の2007年にはスポンサーを200社、年間収入を9000万円にまで上げ、地域リーグ所属(当時)としては初のJリーグ準加盟を果たす。更にJFLへ昇格した2008年には、スポンサーを260社、年間予算を2億3000万にまで増額。この年JFLで4位となり、社長就任からわずか3年でのJリーグ加盟を果たすとともに、収支も初めて黒字に届かせた

小学生時代は野球、中学から大学まではサッカー部に所属。ゴールドマンサックス入社後も東京大学サッカー部OBチームで、ファジアーノ社長就任により退社する37歳までプレー。ポジションはFW

ファジアーノ創設の原動力は小学生の時、広島であったリトルリーグの試合で、負けた広島のチームの子供たちの「今からカープの試合じゃ!」といった言葉。なぜ岡山にプロ野球チームがないのか、広島カープがうらやましいという思いであるという

[匿名さん]

#9112018/12/20 19:03
■アジアが注目するJ2ファジアーノ岡山の魅力■
友森敏雄

毎年、東南アジアのサッカー関係者が研修のため日本を訪問する。そこでの講師として圧倒的人気を誇るファジアーノ岡山の木村正明代表。地元の名門岡山朝日高校から東京大学法学部、そしてゴールドマンサックスの執行役員を務めた。2006年地元の友人から説得を受け、37歳で岡山に戻る決断。

木村さんが代表に就任し、当時の経営陣で徹底的に話し合い、ある理念を設定した。

「子どもたちに夢を!」

代表に就任した当初は、旧川崎製鉄(現JFE)のOBチームが基礎になっており、プロチームですらなかった。地域リーグからJFLに昇格することで有料試合を行うようになり、そして2009年にJ2に昇格。2016年にはJ1昇格プレーオフに出たが、あと一歩およばず。2017年は13勝6分13敗の13位(全22チーム)。

プレーオフに出たため、チーム作りが遅れたことが原因の一つだという。プレーオフに出るとJ1のスカウトなども観戦に訪れ、選手の品定めを行うほか、プレーオフにでなかった他のチームはシーズン中に目にとまった選手の獲得にいち早く動く。ファジアーノは17年、主力の多くが抜けてのスタートになった。

それでも、木村さんの表情は暗くない。「子どもたちに夢を!」こそがゴールであり、J1昇格もそれに向けてのワンステップにすぎない。だからといって、J1昇格を先延ばしにしてよいということが言いたいのではない。

というのも、結果を出すだけでは、集客が増えたり、チームが地域に根付いたりということには必ずしもつながらないからだ。例えば「チームが強くなれば、プレーの質が上がれば、お客さんが増える」と考えがちだが、高校サッカーの全国選手権の試合にJリーグの試合よりも多くの観客が入る。クオリティと集客は必ずしも一致しないのだ。

[匿名さん]

#9122018/12/20 19:07
なんだ?お歴々と常名さんを比較しているのか?

[匿名さん]

#9132018/12/21 02:04
常名 秀則
 ・1993年中学校を卒業後ブラジルへサッカー留学
 ・1987年サン・パウロ州1部リーグE.C.サント・アンドレと日本人2番  目のプロ選手として契約
  ※E.C.キンゼ・デ・ジャウーでは三浦知良と共にプレー
 ・1992年帰国後、京都紫光クラブ(現京都サンガ)にてプレー
  古河電工千葉を最後に現役を引退
 ・千葉敬愛高校、三井千葉SCなどを指導し市原市でちはら台SCを設立
 ・現在エクサスグループ総監督を務めちはら台SCなどアカデミーを指導

               ・日本サッカー協会、アジアサッカー連盟公認A級コーチジェネラル
               ・日本体育協会上級コーチ
               ・日本サッカー協会こころのプロジェクト「ユメセン」講師
               ・日本サッカー協会公認3級審判員
               ・千葉市サッカー協会4種委員・花見川区サッカー協会理事長
               ・千葉県・千葉市4種技術委員

[匿名さん]

#9142018/12/21 02:12
✴人口わずか35万人のアイスランドその強さの秘密とは?✴

2018年のワールドカップロシア大会に初出場したアイスランド。その人口はおよそ35万人で、東京23区で言えば新宿区に匹敵する規模です。 これまでワールドカップに出場した人口が最も少なかった国と比べても、およそ100万人少ない数字です。

「どのようにしてアイスランド代表がここまで力をつけたのか?」

■強さの裏に地道な取り組み■

国際舞台にすい星のように現れたアイスランドですが、そこには、サッカー協会が20年以上かけて進めてきた地道な取り組みがありました。

サッカー協会がまず行ったのが、練習環境の整備です。アイスランドは特に冬の気候が厳しく、かつて冬場はサッカーをすることができませんでした。そこで自治体や企業に対して熱心に協力を働きかけ、年中練習ができる屋内の施設を国内に10か所以上作りました。

もちろん屋外の練習場も各地で整備が進められていて、その多くは幼いときから子どもたちがサッカーに親しめるように学校のすぐ近くに作られています。


■優れた選手は優れた指導者から■

サッカー協会では、指導者の育成にも力を入れてきました。2003年までは、ヨーロッパのサッカー連盟の資格を持つ指導者は1人もいませんでしたが、今では資格を持った指導者が600人以上います。子どものときから資格を持った優秀な指導者のもとで、きめの細かい指導を受けることが出来るわけです。

こうして1年中練習ができる充実した環境の中、優れた指導者のもとで学んだ「インドア・キッズ」とも呼ばれる選手たちが大人になった今、代表チームも必然的に強くなりました。


NHK 国際部 佐々一渡記者

[匿名さん]

#9152018/12/21 17:28
2017.12.18

『いわきFCの現在地 〜身体の強さと自信〜』

プレッシャーを感じている。
もっと冷静にやればいいのに。
自分たちでミスをしている。
受け身になっている。
ラインが下がりすぎている。
ボールを大事にできない。
闘う姿勢が見えない。
怖がっている。
魂のない試合でした。

これは、先日の東アジアE-1選手権、対韓国戦で解説者が揃って言っていたこと。

サッカーは、動きながらボールを止め、蹴り、運ぶスキルが求められ、ゴールを奪うために正しい状況判断をしなければならないスポーツである。さらに難しいのは、相手との駆け引きの中で、それらを体現しなければならない。

「韓国の方が格上であった」、というハリルホジッチ監督の試合後コメントは、技術、戦術うんぬんではなく、これはずっと日本人サッカー選手が抱えている課題だと感じた。

それは、
パワー(ストレングス×スピード)が足りないということ。
フィジカルスタンダードが世界基準ではないということ。

ある人が言っていた。
身体を鍛え、強くするだけで、人込みも満員電車も全く動じなくなって、自信が湧いたって。

身体を鍛え、大きく、強くすることで選手は自信を持ち、スピードもサッカースキルも向上するということを、意識と知識のなかった自分の現役時代と、いわきFCの成功体験を知る自分だからこそ言わせて欲しい。

Jリーグができてもう25年、ファンは上記のコメントを聞き飽きたはずだ。

[匿名さん]

#9162018/12/22 09:10
大倉 智は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手、経営者。現役時代のポジションはFW

生年月日
1969年5月22日
出身地
神奈川県川崎市

選手情報
ポジション
FW

1985-1988
暁星高校
1998-1991
早稲田大学
1992-1995
日立/柏レイソル
1996
ジュビロ磐田
1997
ブランメル仙台
1998
ジャクソンビル

1985年に暁星高校に入学。第65回および第66回の2度全国高等学校サッカー選手権大会に出場。1988年に早稲田大学商学部に入学してア式蹴球部に入部し、4年時に第40回全日本大学サッカー選手権大会で優勝。

大学を卒業後は日立製作所に入社して社員選手としてプレイしていたが、1994年に柏レイソルとしてJリーグに昇格に伴いプロに転向。その後はジュビロ磐田、ブランメル仙台を経て、1998年にアメリカ合衆国のジャクソンビル・サイクロンズに入団、9月に引退

2001年シーズン途中にセレッソ大阪のチーム統括ディレクターに就任。2005年からは湘南ベルマーレの強化部長に就任し、J2下位に低迷していたチームをJ1昇格争いができるまでに成長させた。2013年4月に湘南のゼネラルマネージャーに就任、2014年4月に取締役社長、2015年には代表取締役社長に就任

しかし、「前に前にとゴールを目指すのがスタンダードになっている」世界のサッカーと「降格しないように戦っているようにも見える」Jリーグとのギャップを感じるようになり、そんなときに同学年で大学時代から面識があった株式会社ドーム社長の安田秀一の掲げる「スポーツの産業化」に意気投合。安田が福島県リーグ2部だったいわきFCの運営権を握ると、「10年後に『こういうクラブが本当の意味でのお手本なんだ』ということを示したい」とその趣旨に賛同し、2015年12月に湘南の社長を退いて、いわきFCの運営会社「株式会社いわきスポーツクラブ」代表取締役に就任

[匿名さん]

#9172018/12/22 20:08
選手引退のお知らせ (岡本 秀雄 選手)
2018年12月22日

このたび2018シーズンをもちまして 岡本 秀雄 選手 が、現役を引退することとなりましたのでお知らせ致します。

岡本 秀雄(おかもと ひでお)

【生年月日】  1983年12月26日(34歳)
【ポジション】 FW
【出身地】   京都府
【経歴】    江の川高校(現・石見智翠館高校)→日本文理大学→
        徳島ヴォルティス・アマチュア→徳島ヴォルティス→
        カマタマーレ讃岐→レノファ山口FC→アミティエSC京都
【コメント】

松江シティに関わるスタッフ・フロント・スポンサーの皆さま、そして暖かい声援を送ってくださったファン・サポーターの皆様2年間本当にお世話になりました。

この度、現役を引退して次の人生に歩む決意を致しました。

決して華やかな選手生活ではありませんでしたが、サッカーが大好きで大好きでサッカー選手になる以外の夢を持ったことのない少年が、本当に沢山の方々との縁に恵まれここまでサッカーをすることができました。

社会人になってからの数えきれない思い出が目を閉じれば今も鮮明に浮かび上がります。

徳島のTSVでのハットトリック
讃岐の丸亀競技場1万人の前で決めたループシュート
山口の島原歓喜のゴール
アミティエでは子供の頃から憧れてた西京極でのゴール
松江で息子に見せる事ができた泥臭いゴール

全てのクラブに特別な思いが多すぎて語りきれませんが本当に幸せでした。
心から感謝しています。

そして何処に行くにも笑顔でついて来てくれ、年々衰える身体を少しでもパフォーマンスが上がるようにとサポートしてくれた妻がいなければこの歳まで走ることは絶対にできませんでした。本当にありがとうございます。

[匿名さん]

#9182018/12/22 20:16
✴松江シティフットボールクラブ✴

選手のぼり 25本セット

✴216,000円(税16,000円)✴

商品説明
各選手の立ち姿と国宝松江城がデザインされたのぼりです。
大きさはは約180㎝×60㎝。
全選手(25名)分がセットになったお得な商品です。
下部には社名やお名前、メッセージ等が入れられます。
社内や玄関先等に設置したり、タペストリーとしてもご利用いただけます。
中国リーグのホームゲーム会場に設置することも可能ですので希望される方は「ホームゲーム管理設置」よりお申込みください。
また設置に必要なポールや注水台も販売しておりますので、必要な方は同時購入をお勧めいたします。

団体・個人・法人 どなたでもお申込みいただけます。

※この商品は受注生産となっているためご注文いただいてから発送までに2週間ほどお時間をいただきますので、あらかじめご了承ください。

[匿名さん]

#9192018/12/22 20:17
三菱水島FCがJFLから脱退
09/11/2 19:11

 日本フットボールリーグ(JFL)は2日、三菱水島FCが「昨今の経済不況およびその他諸般の事情から、チームの運営をしている三菱自動車工業株式会社水島製作所の判断により、JFLでの活動を継続していくことが困難となった」という理由により、今季限りで脱退すると発表した。9月30日に脱退の申し入れがあり、この日までに承認された。

 三菱水島FCは今季、後期第13節終了時点で3勝6分21敗でリーグ18位。今季の残り4試合は参加する模様で、チームは来季以降も活動を続ける予定。

[匿名さん]

#9202018/12/22 20:18
✴松江シティフットボールクラブ✴

地元全力応援 新鮮セット 12箱セット
✴108,000円(税8,000円)✴

商品説明
地元全力応援 新鮮セット 12箱セット(一括・分割発送)
松江シティ&松江を応援する「地元全力応援 新鮮セット」
JAしまね くにびき地区本部のご協力で新鮮野菜・果物のセットを定期的にお届けします!
お届けするセット内容について

お届けするセットはその季節の旬の野菜・果物をお届けさせていただきますので、品目や数量もその時々で変わることをご了承ください。

以下はその一例です。
はくさい、レタス、キャベツ、にんじん、ほうれん草、きゅうり、大根、ブロッコリー、トマト、いちご、柿、いちじく、ぶどう、など

[匿名さん]

#9212018/12/22 20:19
✴松江シティFC株式会社✴

役員
代表取締役 社長
鈴木 惠朗
取締役 会長
吉岡 健二郎
取締役 常務
坂田 克昌
監査役
岩田 薫

法人設立
2017年4月20日
所在地
〒690-0061 島根県松江市白潟本町30
TEL:
0852-67-2712
FAX:
0852-67-2713
Mail:
info@matsue-city.com

[匿名さん]

#9222018/12/23 07:13
鹿島、レアルに屈辱の完敗 見せつけられた実力の差 内田「子供みたい」

準決勝が行われ、アジア王者の鹿島が欧州王者のレアル・マドリードに1—3で完敗した。守備ではウェールズ代表FWギャレス・ベール(29)にハットトリックを許し、攻撃はMF土居聖真(26)の1点止まり。2年前に決勝で敗れた雪辱は果たせなかった。

まさに手も足も出なかった。昌子は「屈辱」と言い、安部は「悔しいというのを超えた」と唇をかみ、内田は「俺らが子供みたいだった」と自分たちを評した。白い巨人に完敗した。

ケガ明けで2日前まで別調整だったベールの目を見張るようなスピードにDF陣が置き去りにされた。前半終了間際から、後半10分までに、あれよあれよという間に3失点。2失点目は山本の不用意なバックパスがきっかけとなるなど悪い流れは止まらず、鹿島は土居が1発返すのがやっとだった。

 終盤は屈辱的だった。ベンゼマはプレーの合間に笑い、センターバックのセルヒオラモスは遊ぶようにオーバーラップ。鹿島の選手が前に詰めればあっさりかわされ、距離を取れば鋭いドリブルを仕掛けてくる。W杯を経験したDF昌子さえ「パスを出せば絶対に食われる」と恐れを感じた。柴崎の2発で食らいついた2年前より、地力の差が表れた。

ぼう然とする選手たちの中で号泣したのがFW安部だった。その19歳について語る最中、DF内田ももらい泣きし、真っ赤な目をして言った。「分かるんだよ俺、裕葵の気持ちが」。自身もシャルケ時代、欧州CLなどで何度も名門から「子供みたいに扱われ」打ち砕かれた経験で成長した。「今日のあいつの涙が今後の日本サッカーにとって何かいいきっかけになってほしい。それだけのポテンシャルを持っている。この経験を無駄にしちゃいけない。若い選手は」と話す。

[匿名さん]

#9232018/12/23 13:16
常名 秀則
 ・1993年中学校を卒業後ブラジルへサッカー留学
 ・1987年サン・パウロ州1部リーグE.C.サント・アンドレと日本人2番  目のプロ選手として契約
  ※E.C.キンゼ・デ・ジャウーでは三浦知良と共にプレー
 ・1992年帰国後、京都紫光クラブ(現京都サンガ)にてプレー
  古河電工千葉を最後に現役を引退
 ・千葉敬愛高校、三井千葉SCなどを指導し市原市でちはら台SCを設立
 ・現在エクサスグループ総監督を務めちはら台SCなどアカデミーを指導

               ・日本サッカー協会、アジアサッカー連盟公認A級コーチジェネラル
               ・日本体育協会上級コーチ
               ・日本サッカー協会こころのプロジェクト「ユメセン」講師
               ・日本サッカー協会公認3級審判員
               ・千葉市サッカー協会4種委員・花見川区サッカー協会理事長
               ・千葉県・千葉市4種技術委員

[匿名さん]

#9242018/12/23 22:58
2018/12/05
今季の中国社会人サッカーリーグは全日程が終了いたしました。
応援ありがとうございました!
島根県1部リーグに降格いたしましたが、来期は気持ちを改め、再出発いたします。
午前練習とし、Dezzollaサッカーを本気で取り組んで参ります。
クラブ事務所、選手寮を浜田市下府町に移転し、地元密着クラブを目指し活動していきます。
来季は、中国社会人サッカーリーグ昇格は必須であり、全国に繋がる大会への出場を目指します。
今後とも、叱咤激励と応援よろしくお願いいたします。


↑浜田市下府町に移転したということは、サンビレッジをメインに活動されるのかな?

レノファ山口は、中国リーグから県リーグに1度降格を味わって、再度中国リーグに昇格し、現在の位地にいます。

デッツォーラ島根の復活はなるか?

[匿名さん]

#9252018/12/23 22:59
完全に島根県を軸に活動をするということか。

[匿名さん]

#9262018/12/24 09:17
森島康仁選手 栃木シティフットボールクラブより完全移籍加入のお知らせ

2018年12月21日
この度、栃木シティフットボールクラブ (JFL)森島康仁選手(31歳)完全移籍加入することになりましたのでお知らせいたします。

森島 康仁 Yasuhito MORISHIMA

morisima
【ポジション】
FW

【生年月日】
1987年9月18日

【出身地】
兵庫県

【身長/体重】
188cm/88kg

【経歴】
滝川第二高−セレッソ大阪−大分トリニータ−川崎フロンターレ−ジュビロ磐田−テゲバジャーロ宮崎−栃木シティFC (JFL)

【出場経歴】

J1リーグ:83試合/13得点・天皇杯:9試合/5得点
J2リーグ:165試合/37得点・天皇杯:7試合/2得点

【出場記録2018】
関東サッカーリーグ1部:18試合/17得点
栃木県サッカー選手権大会:0試合/0得点
全国社会人サッカー選手権大会関東予選:2試合/3得点
全国社会人サッカー選手権大会:2試合/1得点
全国地域サッカーチャンピオンズリーグ:2試合/1得点

【コメント】
この度、加入することになりました森島です。
全力で頑張りますのでよろしくお願いします。

[匿名さん]

#9272018/12/24 12:31
一般社団法人中国ウェルネススポーツネットワーク

一般社団法人
法人番号
7280005006693

専門分野
教育系 (スポーツ)

設立日
2012年

代表者
岡本佳大

活動地域
広島県、島根県

主な事業
サッカークラブの運営
地域スポーツの普及振興

郵便番号
697-0023

事務所
広島県広島市佐伯区利松1丁目10-38メゾン・ド・アマリリオⅡ

[匿名さん]

#9282018/12/24 20:43
嵐は何がしたいの?

[匿名さん]

#9292018/12/24 21:04
◇いわきFC 〜サプリメント最前線〜◇

■体脂肪を増やさずに冬を乗り切れ! 〜基礎代謝を高める食事方法とは

練習量が減ってくるオフシーズン。この時期はシーズン中に酷使した身体を休めるだけでなく、翌シーズンで闘える新たな身体を手に入れていく必要がある。そのためには余計な体脂肪を付けず、常に動ける身体を維持していかねばならない。

◆代謝を高めよ!
カロリーが消費されるのは、運動した時だけではない。私たちが生命を維持するためには体温を維持したり、ホルモンや酵素を合成したり、筋肉や内臓、皮膚などの細胞を新しいものに入れ替えたり、ウィルスなどの外敵を排除したりする必要がある。このように生命を維持するために消費されるカロリーのことを、「基礎代謝」と呼ぶ。

基礎代謝に似た言葉で、「安静時代謝」というものもある。
食事をすると身体が暖かくなるが、それは栄養素を消化吸収したり、ATPを合成したりするときに熱が発生するからである。この、食事によって発生する体熱のことをDIT(食事誘発性体熱産生)と呼ぶ。
大まかに言って安静時代謝とは、基礎代謝にDITを加えたものだと考えてよい。

DITは特にたんぱく質を摂取した時に発生しやすく、炭水化物や脂質を摂取した時には、あまり発生しない。だから摂取カロリーが同じであっても、たんぱく質の割合が多ければ体脂肪が増えにくいのである。
もちろん筋肉を増やすためにも、十分なたんぱく質の摂取が必要だ。

また唐辛子やショウガなどを食べると、ノルアドレナリンなどのホルモン分泌が活発になり、体温が上昇して基礎代謝が高まる。すると、やはり同じだけのカロリーを摂取していても、消費カロリーが増えるため、体脂肪は増えにくくなるのだ。

[匿名さん]

#9302018/12/25 01:19
>>928
常名 秀則
 ・1993年中学校を卒業後ブラジルへサッカー留学
 ・1987年サン・パウロ州1部リーグE.C.サント・アンドレと日本人2番  目のプロ選手として契約
  ※E.C.キンゼ・デ・ジャウーでは三浦知良と共にプレー
 ・1992年帰国後、京都紫光クラブ(現京都サンガ)にてプレー
  古河電工千葉を最後に現役を引退
 ・千葉敬愛高校、三井千葉SCなどを指導し市原市でちはら台SCを設立
 ・現在エクサスグループ総監督を務めちはら台SCなどアカデミーを指導

               ・日本サッカー協会、アジアサッカー連盟公認A級コーチジェネラル
               ・日本体育協会上級コーチ
               ・日本サッカー協会こころのプロジェクト「ユメセン」講師
               ・日本サッカー協会公認3級審判員
               ・千葉市サッカー協会4種委員・花見川区サッカー協会理事長
               ・千葉県・千葉市4種技術委員

[匿名さん]

#9312018/12/26 00:24
>>930
何十回も同じレスしなくていいから。とりあえず、島根県1部頑張ろう!

[匿名さん]

#9322018/12/27 08:29
シモは何をしてるんだ!

暇なら呼び戻そう!

[匿名さん]

#9332018/12/27 16:04
>>932
長期リハビリが必要

[匿名さん]

#9342018/12/28 08:39
>>933
ケガですか?

[匿名さん]

#9352018/12/29 21:34
中国リーグ優勝2回、2位6回と輝かしい成績を残しているデッツォーラ島根。

このまま終わるクラブではない!

[匿名さん]

#9362019/01/02 19:04
新たなメンバーで再出発?

[匿名さん]

#9372019/01/03 11:47
年末のフロイド・メイウェザー・ジュニアは凄かった!

1ラウンドで約10億。

金の亡者と呼ばれているが、あれこそが本物のプロ!

[匿名さん]

#9382019/01/04 02:14
常名 秀則
 ・1993年中学校を卒業後ブラジルへサッカー留学
 ・1987年サン・パウロ州1部リーグE.C.サント・アンドレと日本人2番  目のプロ選手として契約
  ※E.C.キンゼ・デ・ジャウーでは三浦知良と共にプレー
 ・1992年帰国後、京都紫光クラブ(現京都サンガ)にてプレー
  古河電工千葉を最後に現役を引退
 ・千葉敬愛高校、三井千葉SCなどを指導し市原市でちはら台SCを設立
 ・現在エクサスグループ総監督を務めちはら台SCなどアカデミーを指導

               ・日本サッカー協会、アジアサッカー連盟公認A級コーチジェネラル
               ・日本体育協会上級コーチ
               ・日本サッカー協会こころのプロジェクト「ユメセン」講師
               ・日本サッカー協会公認3級審判員
               ・千葉市サッカー協会4種委員・花見川区サッカー協会理事長
               ・千葉県・千葉市4種技術委員

[匿名さん]

#9392019/01/04 04:41
>>938
プロなら中国リーグ復帰なんて余裕でしょ!

[匿名さん]

#9402019/01/04 09:52
>>939
当たり前だ。プロだからな。

[匿名さん]

#9412019/01/04 13:08
>>939大きい事ばっかり言ってるから信用なくす!ことしは信用とりもどすんだろ!ほんと口ばっかりは誰でも言えるぞ!

[匿名さん]

#9422019/01/04 18:26
>>941
キミは少し黙ろう

[匿名さん]

#9432019/01/04 21:04
>>941
はいわかりました

[匿名さん]

#9442019/01/04 21:34
島根県1部、無双できますか?

[匿名さん]

#9452019/01/06 12:00
住みたい、住んでよかった、魅力いっぱい、元気な浜田
〜豊かな自然、暖かい人情、人の絆を大切にするまち〜

✴2019年最新 浜田市で絶対外さない観光スポット✴


1位:しまね海洋館アクアス 

2位:石見畳ヶ浦
3位:道の駅 ゆうひパーク浜田
4位:道の駅 ゆうひパーク三隅
5位:どんちっち神楽時計 

6位:浜田市世界こども美術館 

7位:しまねお魚センター 

8位:アサヒテングストン スノーパーク

9位:浜田城跡 

10位:三隅大平桜 

11位:竜雲寺
12位:浜田市立石正美術館 

13位:アクアスランド
14位:三隅神社 

15位:広浜鉄道今福線 

16位:浜田マリン大橋 

17位:三宮神社 

18位:国府海水浴場
19位:浜田市観光協会 

20位:石州和紙会館 

21位:石見国分寺跡
22位:石見安達美術館
23位:三隅中央公園 

24位:下府廃寺塔跡

※トリップアドバイザー 日本 より
しっかり調べてばっちり予約充実の旅へ

[匿名さん]

#9462019/01/08 00:01
撃ち込まれた銃弾が応援の証。【インタビュー】
2019 1/4

アルゼンチン3部リーグで活躍する日本人選手がいる。アルミランテ・ブラウンに所属するFW後藤航は、高校卒業後に単身でアルゼンチンのクラブの門を叩いた。そんな後藤が、他国にはない熱を持つアルゼンチンサッカーについて語ってくれた。(取材・文:カルロス矢吹)


●アルゼンチンのサッカーは“戦争”

「アルゼンチンには所属チームが無い選手が集まってリーグ戦をやるところがあるんですよ、午前中はそこで練習して、夜はレストランでアルバイトして。三ヶ月くらいそういう生活をした後にコルドバ州の地域リーグ、5部リーグと移った後、今のチームに移籍しました。

プロリーグとはいえ、3部では生活が苦しいのではないか? そう尋ねると、後藤を首を横に振りながら答えた。

「アルゼンチンでサッカーをやってる子達って、貧しい家庭の子が多いんです。だからその子達をクラブに入れる以上、クラブは衣食住の面倒を見なきゃいけない。外国人である僕もそうですよ。3部ですけどウチのスタジアムって1万人以上入るし、試合によっては埋まるので、生活はそこまで苦しくはないですね。

“組”みたいですよね、南米のサッカークラブって。だからアルゼンチンのサポーターも、クラブのために身体を張る選手を、気持ちの強い選手を応援するんです。アルゼンチンのサッカーって“戦争”なんですよ。

去年ウチのクラブが降格しかけた時期に、会長の家に銃弾が撃ち込まれて。“死んでも残留しろよ”ってことなんですけど。練習場にもその感じで来るし。コパ・リベルタドーレスの決勝に自分のクラブが進んだら、チケットは日本円で30万円くらいかな、彼らは車を売ってチケット買うんですよ。翌日の仕事のことなんて考えてないんでしょうね。

[匿名さん]

#9472019/01/08 20:18
常名 秀則
 ・1993年中学校を卒業後ブラジルへサッカー留学
 ・1987年サン・パウロ州1部リーグE.C.サント・アンドレと日本人2番  目のプロ選手として契約
  ※E.C.キンゼ・デ・ジャウーでは三浦知良と共にプレー
 ・1992年帰国後、京都紫光クラブ(現京都サンガ)にてプレー
  古河電工千葉を最後に現役を引退
 ・千葉敬愛高校、三井千葉SCなどを指導し市原市でちはら台SCを設立
 ・現在エクサスグループ総監督を務めちはら台SCなどアカデミーを指導

               ・日本サッカー協会、アジアサッカー連盟公認A級コーチジェネラル
               ・日本体育協会上級コーチ
               ・日本サッカー協会こころのプロジェクト「ユメセン」講師
               ・日本サッカー協会公認3級審判員
               ・千葉市サッカー協会4種委員・花見川区サッカー協会理事長
               ・千葉県・千葉市4種技術委員

[匿名さん]

#9482019/01/09 01:18
古沼 貞雄(こぬま さだお、1939年 - )は、東京都出身のサッカー指導者。

東京都立江戸川高等学校を経て、日本大学文理学部体育専修を卒業後、1964年に体育教諭として帝京高校に赴任。

1965年からサッカー部監督に就任し、高校選手権6回、高校総体3回の計9回の全国制覇に導いた。

帝京では木梨憲武ら、数々の部員を指導していた。

本人はサッカーの経験はなかった。

2003年限りで一線を退き、2004年はサッカー部部長、2005年からはJリーグ・東京ヴェルディのアドバイザーに就任。育成・普及面でのサポートを行っている。

高校サッカー界では浦和南の松本暁司監督、国見の小嶺忠敏監督と並び称され、一時代を築く。

■指導経歴
帝京高校:監督 1965-2003
帝京高校:部長 2004
東京ヴェルディ:アドバイザー 2005-


■獲得タイトル
全国高等学校サッカー選手権大会:優勝6回、準優勝3回
優勝:1974年、1977年、1979年、1983年、1984年、1991年
準優勝:1994年、1997年、1998年

全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会:優勝3回、準優勝4回
優勝:1976年、1982年、2002年、
準優勝:1994年、1996年、1997年、2003年

[匿名さん]

#9492019/01/09 01:32
名将古沼貞雄、45年前の消えない記憶と古沼イズム
日刊スポーツ 1/7(月) 7:58配信

冬の風物詩、サッカー全国高校選手権の舞台に58年間も挑戦し続ける人がいる。今大会でベスト8まで進んだ矢板中央(栃木)でアドバイザーを務める古沼貞雄。

新春の快晴の下、ベンチコートを羽織り、腰に両手を当ててベンチの隅からじっと教え子たちを見守る。80歳を迎える2019年も現場で迎えた。

■体張る粘り強さ伝える

「私はサッカーは素人でしたから」

自身は陸上部だった。箱根駅伝出場を夢見て東洋大に入学も、ケガで断念し日大に再入学した。卒業後、サッカーの知識がほぼないまま指導者の道を歩み始めた。

守備の大切さに気づいたのは、監督就任から5年がたったとき。66年度の全国選手権で習志野(千葉)初優勝に導いた監督の西堂就(たかし)と酒を酌み交わした時だった。

焼酎が進み、少し声が大きくなった西堂にこう言われた。

「サッカーは攻撃もあれば、守備もあるんだ。守ることも考えたら、帝京はもっと強くなるんじゃねえかなあ」

はっとした。個人技を優先した奔放な帝京サッカーは、当時3強と言われた広島勢、静岡勢、埼玉勢の壁にはね返され続けていた。気持ちのいい攻撃の他にあるところに目を向けてみろ。西堂からのメッセージだった。

そこから守備を重視した戦術に方針転換。クリアなどの決まり事を徹底し、「(ボールを)取ろう、取ろうは取られのもと」という標語を作ってカバリングの重要性も説いた。そして、守りに欠かせないのはなにより体力。陸上部だった経験を生かし、体力を鍛え上げた。練習試合に負ければ、学校に戻って1時間のランニング。長距離ランナーだった自身が先頭に立った。技術は教えられなくても、体を張る粘り強さは伝えられた。就任から9年で、日本一まで駆け上がった。

[匿名さん]

#9502019/01/09 18:34
常名 秀則
 ・1993年中学校を卒業後ブラジルへサッカー留学
 ・1987年サン・パウロ州1部リーグE.C.サント・アンドレと日本人2番  目のプロ選手として契約
  ※E.C.キンゼ・デ・ジャウーでは三浦知良と共にプレー
 ・1992年帰国後、京都紫光クラブ(現京都サンガ)にてプレー
  古河電工千葉を最後に現役を引退
 ・千葉敬愛高校、三井千葉SCなどを指導し市原市でちはら台SCを設立
 ・現在エクサスグループ総監督を務めちはら台SCなどアカデミーを指導

               ・日本サッカー協会、アジアサッカー連盟公認A級コーチジェネラル
               ・日本体育協会上級コーチ
               ・日本サッカー協会こころのプロジェクト「ユメセン」講師
               ・日本サッカー協会公認3級審判員
               ・千葉市サッカー協会4種委員・花見川区サッカー協会理事長
               ・千葉県・千葉市4種技術委員

[匿名さん]

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