子供の頃上田馬之助になりたかった
理由はシンに襲われる心配がないから…
思えば卑怯者の人生だった
[匿名さん]
山さん、チョーさん、ゴリさんが主役の日はプロレスを見てた
[匿名さん]
当時アントニオ猪木の妻だった倍賞美津子は、太陽にほえろの初代主人公萩原健一と不倫し、金八先生にも出演しているどころか後年のスペシャルにて金八と結婚する。
まさに金曜夜8時の主人公達をコンプリートした倍賞美津子こそガチ最強!
[匿名さん]
新日本プロレスに参戦していた上田馬之助が、裏番組の「風雲!たけし城」にタブルブッキングしていた。
[匿名さん]
「ワールドプロレスリング」「3年B組金八先生」「太陽にほえろ」今思うとすごい時代だな
[匿名さん]
この時代高価だった家庭用ビデオデッキを持っている家も少なく、番組選択は迷った。
[匿名さん]
1980年代半ばになるとかなり普及するけど太陽にほえろ!もワールドプロレスリングもマンネリで悲惨な事になってた
[匿名さん]
坂口征二の家にはビデオデッキがあって太陽にほえろを録画して巡業用のバスの中で見ていたらしいよ
[匿名さん]
うちはまだビデオデッキはまだ無かったがテレビは3台あったな。俺はプロレス、姉ちゃんは金八先生、父ちゃんは太陽にほえろ見ていた
[匿名さん]
プロレス中継後ハングマンが始まってエロいシーンで家族が気まずくなる
[匿名さん]
「太陽にほえろ」の脚本をドラえもんの声優の大山のぶ代が何本か書いていた。
[匿名さん]
「ワールドプロレスリング」の脚本を大山のぶ代が書いてたら面白くなったかもな
[匿名さん]
「ワールドプロレスリング」の脚本を山本小鉄が書いていた時期があった。山本の書いた脚本に怒った日本人レスラーのSが山本と取っ組み合いの喧嘩になり、山本をボコボコにしてしまって、Sは新日に出入り禁止になった。
[匿名さん]
金曜から撤退して月曜になったあたりから新日本に暗雲が漂い始める
[匿名さん]
皮肉にも80年代のプロレスブームがその後のプロレスの衰退に繋がった。
[匿名さん]
ギブアップまで待てない
レフリーストップしろって意味か?
[匿名さん]
月曜の新日本は悲惨だった
火曜の新日本は無惨だった
[匿名さん]
関東地区で昭和のあの頃は月曜日テレビ東京は国際プロレス 金曜日テレビ朝日は新日本プロレス 土曜日日本ては全日本プロレスがゴールデンタイムに放送されていた。日曜日は不定でフジテレビで昼間女子プロレス( ビューティーペア人気の頃は金曜日7時から)放送されていた。
[匿名さん]
情報源の少なかった時代。テレビ中継の終わりはこれからの試合予定の会場のテロップが流れていた。
[匿名さん]
昭和の時代、もちろんまだネットはなく
専門誌は月刊で
どうしても結果知りたい時はキオスクで東スポ買うしかなかった
でもエッチなページがあるから東スポは家に持ち帰れなくて困った
[匿名さん]