ヒップアタックの元祖
越中詩郎より先駆者だった…合掌。
[雑談ブックマーク]
1982年11月の東京大会でNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を争った
大仁田厚に敗れたが、試合後トロフィーで襲撃し大流血に追い込んでいる。
後々、チャボさんが来日した際に「大仁田厚に何であんな事をしたのか」と聞いたことがある。
「初来日は全日マットだったけど俺には、新日マットが合っていたんだ。
藤波や、木村(健悟)との試合、凄かっただろ。やっている俺もゾクゾクしたよ。
その感覚がずっとあって、それで全日にまた上がったら、テンポが違うというか流れが合わず、
全日の独特の間がどうにもかみ合わなかった。
団体でファイトスタイルが違うのは仕方ないんだが、何だか腹が立ってつい、やっちまった」
と大げさに肩をすくめた。
[匿名さん]