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2025/04/24 14:08
爆サイ.com 四国版

😍 純愛総合





NO.5760660

戦国武将に恋してます
武田信玄/山本勘助/武田勝頼/高坂昌信

南光坊天海/林羅山/北条早雲/北条氏綱

北条氏康/北条綱成/北条氏政/上杉謙信

上杉景勝/直江兼続/村上義清/真田昌幸

真田幸村/佐竹義宣織田信長/織田信忠/織田信雄/織田信孝

池田恒興/森蘭丸/堀秀政/今川義元

徳川家康/徳川秀忠/本多正信/石川数正

酒井忠次/板倉勝重/本多忠勝/榊原康政

井伊直政/大久保彦左衛門/九鬼嘉隆

竹中半兵衛/藤堂高虎/山内一豊/まぼろしの女城主山内千代
など
報告閲覧数313レス数108
合計:

#592019/06/22 06:31
雑賀孫一=伊勢 宗瑞

[匿名さん]

#602019/06/29 07:56
前も滝川後ろも滝川

[匿名さん]

#612019/06/29 07:57
🌰ステル

[匿名さん]

#622019/07/20 04:58
伊勢 宗瑞
織田信長
明智光秀
雑賀孫一

[匿名さん]

#632019/08/12 20:11
長尾景虎

[匿名さん]

#642020/05/28 12:59
藤原 量子

[匿名さん]

#652020/05/28 13:14
>>36
これ書いたの私だw

[匿名さん]

#662020/05/28 13:15
最後のまぼろしの女ってなに?

[匿名さん]

#672020/05/28 15:39
堀田石松

[匿名さん]

#682020/05/29 01:22
うつ世をば  今こそ渡れ もののふの
名を高松の 苔に残して

清水宗治

[匿名さん]

#692020/05/29 05:39
寺内 貫太郎

[匿名さん]

#702020/05/29 05:52
星野 勘太郎

[匿名さん]

#712020/05/29 05:58
鬼軍曹  山本 小鉄 

[匿名さん]

#722020/05/29 06:18
ラツシャー板前

[匿名さん]

#732020/05/29 15:09
ハンニバル

[匿名さん]

#742020/05/29 18:02
世界遺産姫路城を現在残る姿に修築した大名。 滝川輝政(池田輝政)

[匿名さん]

#752020/05/29 18:04
滝栗の親戚か?

[匿名さん]

#762020/05/29 18:29
滝川なんとなくクリスタル👍

[匿名さん]

#772020/05/29 18:39
共通の先祖だらな

[匿名さん]

#782020/05/29 21:23
滝川クリ捨てる(゚Д゚)ノ⌒・

[匿名さん]

#792020/05/29 21:27
卑弥呼😍

[匿名さん]

#802020/05/31 09:35
神功皇后

[匿名さん]

#812020/05/31 11:21
斎藤道三じゃ

[匿名さん]

#822020/05/31 13:31
早い話あかの他人(笑)

[匿名さん]

#832020/09/19 18:57
刀剣乱舞

[匿名さん]

#842021/02/07 16:58
清水宗治が入ってない

[匿名さん]

#852021/02/07 17:35
軍師も頼むわ

[匿名さん]

#862021/02/08 01:49
刀で人の手足を生きたまま切断したり、首切って持ち帰る男だよ

[匿名さん]

#872021/02/08 01:51
そういう時代のルール

[匿名さん]

#882021/02/08 01:57
>>0
おれの名前が無いじゃないか!どうしてくれるんだ!

[匿名さん]

#892021/02/08 04:01
森蘭丸は武将というか付き人のような

[匿名さん]

#902021/05/06 15:24
戦国武将・武家・大名家・将軍家の家系に多く見られる下の名前に「忠」を付ける慣わしは古代中国の偉人の名前が由来

日本の場合、特に中国系の家系や日本と同じく古代中国の影響を受けた朝鮮人の家系に多く見られる

幾つもの世代を通して続く家系は古代中国への愛国心が強い傾向がある

[匿名さん]

#912021/05/06 15:26
前田慶次

[匿名さん]

#922021/05/06 15:28
若ノ花

[匿名さん]

#932022/02/18 11:49
屁、出るかもぉー 

[匿名さん]

#942022/04/23 11:19
山本勘助

[勝山注射場]

#952022/04/23 11:21
>>91
分かるっう笑笑

[匿名さん]

#962022/11/01 17:24
>>0
戦国武将に例えるなら俺生き様は何故か真田幸村と被っている面がある
変わり者かなー🤔
その時代の武将に生きていたら同じように歴史に名を上げていたと思う🤔

[匿名さん]

#972022/11/01 17:28
多勢に流される良い所付きの腰抜け共よりどうせ討死するなら恩義を大切に生きると思う。同じように赤🔴備えで一番目立つ鎧兜付ける。何故か被る面が多い。何故だ🤔

[匿名さん]

#982022/11/01 17:29
>>96
おまえ自分探しの旅とか好きだろ😂

[匿名さん]

#992025/02/21 19:39
真田幸綱vs村上義清 砥石崩れ 真田幸綱の勝利

真田幸綱vs上杉謙信 白井城の戦い 真田幸綱の勝利

真田信綱vs徳川家康 三方ヶ原の戦い 真田信綱の勝利

矢沢頼綱vs北条氏邦 沼田城の戦い 矢沢頼綱の勝利

矢沢頼綱vs北条氏直 沼田城の戦い 矢沢頼綱の勝利

真田信之vs北条氏直 手子丸城の戦い 真田信之の勝利

真田昌幸vs徳川家康 第一次上田城の戦い 真田昌幸の勝利

真田昌幸vs徳川秀忠 第二次上田城の戦い 真田昌幸の勝利

真田信繁vs徳川家康 大坂冬の陣 真田信繁の勝利

真田家は戦国最強の戦術家で知略・軍略も戦国最強!
矢沢頼綱は元々、真田源之助といい、真田幸綱の弟にあたるので、真田家の血筋の人物。

[匿名さん]

#1002025/02/21 19:41
ところで、平安時代の平清盛の直系子孫は本当に滅びたのか? 平清盛の嫡男に平重盛がいるが、平重盛の七男に平宗実という
人物がいた。その人物の子孫がどうやら残っているようである。
詳しくは「平宗実」で検索してほしい。要するに平清盛の直系子孫は滅びてないのではないだろうか?

さて、時代は飛んで戦国時代、徳川幕府・江戸時代へと進めていこう。
まず、徳川家康といえども非常に恐れていた相手がいた。それは、武田信玄だ。武田信玄といえば、
三方ヶ原の戦いで徳川家康を完全に叩きのめした。武田信玄と聞けば、徳川家康は震え上がったといわれる。
戦の全てを肌で知る男、武田信玄は、戦国最強クラスがあれば、その師匠になるべき存在である。
え、でも、武田信玄の直系子孫は滅びたんじゃないの? と思われるだろう。しかし、滅びてなかったようである。
詳しくは、「武田信清」で検索するか、もしくは、「米沢武田家」で検索してほしい。
次に、真田一族だ。真田昌幸や真田信繁は戦国最強クラスに入る。その活躍ぶりは、
徳川家康を恐怖させた。そのおかげで、真田信之は元々ゆかりのある信州領内で大名として存続できたのだ。
次に、立花宗茂である。戦国最強クラスに入り、家康を恐怖させた。もちろん、旧領国に戻ることが出来た。
次に、島津義弘である。戦国最強クラスに入り、家康を恐怖させた。関ケ原合戦後も家康は薩摩領に手出し出来なかった。
しかも、武田家、真田家、立花家、島津家、は滅びてないのだ。

そもそも、本当に豊臣家は滅びたのか? という点だ。
大坂夏の陣の頃、豊臣国松を真田家が救い、それを島津家が匿った、という言い伝えもあるのだ。
そりゃそうだろう。豊臣を守る武将も馬鹿ではない。本気で守ろとするならどんな手も尽くしたはずだ。
豊臣家は本当に滅びたのか? 興味深いから、「木下延由」で検索してみてください。

[匿名さん]

#1012025/02/21 19:43
武田信玄、真田一族、立花宗茂、島津義弘、の4家は徳川家康を恐怖させたのは確実であり、しかも滅びてないのだ。
あとは、個人的に家康寄りの黒田官兵衛、加藤清正、伊達政宗や家康寄りではない前田利家、のそれぞれの立ち位置で、どれくらい家康を恐怖させたかが興味を引き立てる。黒田官兵衛は関ケ原合戦の時、軍勢を率いて九州を統一して配下に収めようとしていた。それは、関ケ原合戦が長引いている間に両軍が疲弊している隙をついて天下に近付こう、という思いからだろう。
しかし、関ケ原合戦は早期に終わり、その思いは果たせなかった。戦後、黒田官兵衛は息子の長政に向かって、
なぜ家康を殺さなかった? という意味を思わせるような発言をしたといわれているし、関ケ原合戦後に家康は官兵衛と
会っていたという。それで、家康は官兵衛の心を探ろうとしたのだろう。要は、黒田官兵衛も家康を恐怖させる存在であったのは間違いない。次に、加藤清正は関ケ原合戦の時は家康側として九州にいて、石田三成側の城を攻めたりした。
だが、大坂の陣の前に家康と豊臣秀頼の会見があったが、そのときに加藤清正もいた。もし、秀頼に何かあれば、
家康を刺し殺す覚悟だったという。実際、大坂の陣の前に加藤清正は謎の死を遂げた。原因は不明らしいが、
家康から暗殺された、とする説があるのだ。大坂の陣の前に、都合よく加藤清正が死んでしまうというのは、
家康にとって都合が良すぎる。やはり、加藤清正も家康を恐怖させる存在であったのは間違いない。
次に、伊達政宗は関ケ原合戦の時と大坂の陣の時も家康側として戦った。だから、家康と敵対していたわけではない。
それで、伊達政宗は、3代将軍の徳川家光から気に入られたようである。逆にいえば、徳川から監視の対象者として直接見ておく必要性があったのではないか? 伊達政宗といえば奥州の大大名である。だから、伊達政宗も家康を恐怖させる存在であった、と考えるのが自然ではないか。次に、前田利家は家康に唯一対抗できた武将であり、家康に付き従う武将の団結を崩せた存在でありました。前田利家が長生きしていれば史実の関ケ原合戦はなかったでしょう。ちなみに、黒田官兵衛、伊達政宗、前田利家、の男系子孫は現在も御健在みたいです。ただ、加藤清正の男系子孫は詳細が不明なようです。

[匿名さん]

#1022025/02/23 13:14
戦国最強クラスといえば、上杉謙信もそうですね。仮に上杉謙信が長生きしていれば、
徳川家康を恐怖させた存在になっていたのは間違いないでしょう。
上杉謙信には嫡男はおらず、養子の上杉景勝が跡を継いだようですね。上杉景勝の男系子孫は現在も御健在みたいです。
次は鍋島直茂ですね。九州の武将であり戦でも活躍したようです。知名度ではあまり有名ではないですが、
戦国最強クラスとまではいかなくても、戦国最強クラスに準じるという意味ではふさわしいと思います。
徳川家康から見ても無視できない存在であるはずです。
鍋島直茂の男系子孫は現在も御健在みたいです。
次は白井胤治ですね。白井胤治は実在の人物かどうか議論されてるようですが、
上杉謙信の関東制覇を防いだ軍師として活躍したようです。状況が許せばもっと活躍できたでしょう。
活躍次第によっては徳川家康を恐怖させた存在になっていたかもしれませんね。
次は毛利勝永ですね。毛利勝永は戦国の集大成ともいえる大坂夏の陣で活躍しましたね。
毛利勝永は大坂城落城時に自害しまして、嫡男は2人いたようですが、内1人は自害して、もう1人は徳川方に処刑されたようです。
なので、毛利勝永の男系子孫はいないみたいです。
以上、上杉謙信、鍋島直茂、白井胤治、毛利勝永、も戦国最強クラスか、それに準じる武将・軍師であるのは間違いないでしょう。
まとめると、武田信玄、真田一族、立花宗茂、島津義弘、黒田官兵衛、伊達政宗、前田利家、加藤清正、も含めた12家は、
徳川家康を恐怖させる存在であります。

[匿名さん]

#1032025/02/23 15:37
娘か、たまにゲームしてます😂👩🎮️

[匿名さん]

#1042025/02/23 16:19
>>103
旦那が最初してました😂👨‍🦳🎮️娘に教えた😂👩🎮️

[匿名さん]

#1052025/02/23 16:21
>>104
LINEのスタンプが織田信長を持ってます😂👨‍🦳 で、あるか、って言葉のスタンプ好きみたい😂👨‍🦳

[匿名さん]

#1062025/02/24 18:51
戦国自衛隊

[匿名さん]

#1072025/02/24 20:31
黒田官兵衛

[匿名さん]

#1082025/04/24 14:08最新レス
それはないなあ

[匿名さん]

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