>>282
諸宗は本尊に迷えりとある御書の一節を出し
身延の曼荼羅を日蓮花押がないと攻めたてた法論のようです
学会特有の戦法ですね
身延派は曼荼羅正意と釈迦仏正意があり
日蓮大聖人を菩薩としています
これは御書に書いてある本門の教主釈尊という記述と
法華経を身で読まれた事に関して
自身が法華経の行者であり上行菩薩の再誕であると認識した
事からであります
日蓮自身は自らが仏であるとは明かしていません
ただ法華経の行者であり凡夫僧だと御書に書いています
末法に法華経を弘める為に仏の使い四菩薩の一人
上行菩薩だとする自らのお立場を考えた記述であります
日蓮本仏を唱える富士派は南無妙法蓮華経の下に日蓮と書かれた曼荼羅を正意とします
これは題目つまり法華経を説き明かしたのは日蓮であり
日蓮が南無妙法蓮華経であると言う意味であります
つまり日蓮が本仏になり釈迦より昔に仏になったとしています
この違いから曼荼羅の書写も違います
日蓮本仏論には矛盾があり日蓮は言っていない
また本門の教主釈尊と書かれているのに自身が仏であるとは
無理があります
この辺の解釈が観心本尊抄の読みの違いで
同じ日興門流でも変わっています
京都要法寺など
観心本尊抄の読み方が大石寺と全く違います