>>0
神は存在します
キリストは「神の国は我がうちにあり」と申されています。
日本の神道においては、この世に存在するすべての物には神が宿るというアニミズム的考え方をしています。
また仏教においても、涅槃経に草木国土悉皆成仏と言う言葉があり、すべての物には仏性が宿り、やがて全ての物は成仏すると考えられています。
空海はこの世に存在する全ての物は、真理をお体とし、宇宙そのものをお体としている大日如来の化身であると説かれています。
要するにこの世のすべての物に仏・神が宿り、私たち自身も神であるということです。
しかし、そのようなことを言われてもピンと来ないかもしれませんが、それは私達が煩悩にまみれて、自分自身の中に存在する神・仏の姿を感じることが出来ないからです。
仏師はこのように言っています。
彫刻する木の大木の中に既に仏はいらっしゃる、私たちはその仏の回りについている木の木っ端を取り除いているだけである、すると自然とその中から仏が現れると。
私達も同様です。
私たちは多くの煩悩にとりつかれています、様々な欲望、しがらみ、執着、囚われ・・等々それらが自分自身が仏であり、神であることを覆い隠しているのです。
もしその煩悩を一つ一つ取り除いていくのならば、自然と私たちの中に存在する、仏・神が姿を現すのです。
我々のように煩悩の無い草木をじっと観察してみてください。
一粒の野原の花の種は、芽を出し、華麗な花を咲かして種を付けてやがて枯れていきます。
そこには仏教の諸行無常、縁起の法則と言うこの世の真理が全てが現れています。
諸行無常、全ての物は移り行く、命あるものは死に、形あるものはやがて無くなる。
奇麗に咲いた花もやがて散って枯れていく、何時までも奇麗に咲いているわけではありません。
縁起の法則、すべての物には原因があって、そこに様々な縁が加わり、そして結果が生じる。
花を咲かすには種を撒くという原因が必要です、そこに雨、太陽の光等の様々な縁が加わり、やがて結果として奇麗な花を咲かすことになります。