前田投手も調子が良くなかった。7−4法政二、4−3福井商、3−2米子商、9−3江の川、5−1沖縄水産、0−1広島商。
[匿名さん]
サウスポーと言えば、平良投手(沖縄水産)130キロくらいの速球と変化球でベスト4進出。4−2富山商、5−1宮崎南、4−1愛工大名電、2−1浜松商、1−5福岡第一。いい投手だった。
[匿名さん]
津久見が優勝できなかったのが意外・・・。川崎投手は最速147キロの速球、多彩な変化球を持っているのに優勝投手になれなかった。津久見は打線も強力で優勝候補に挙げられていたが・・・。
[匿名さん]
川崎(津久見)146キロ、岡(高知商)145キロ、竹内(本荘)142キロ、 前田(福岡第一)141キロ、村上(熊本工)140キロ。
[匿名さん]
川崎は広商の「1人5球投げさせろ」の待球作戦でやられた
[匿名さん]
桐蔭学園は広島工を5−2、倉吉東を4−2、Ⅴ候補・東海大甲府を5−1、宇和島東に4−5。
[匿名さん]
東海大甲府の監督が大八木さんだった頃は本当に強かった。
[匿名さん]
宇都宮学園の勝ち上がり。春9−1天理、6−2北海、8−7上宮、0−4東邦。夏2−1近大付、7−5倉敷商、1−2浦和市立。
[匿名さん]
野洲は極力バントしないイケイケ野球で近畿大会ベスト8に入り選抜出場。
だが甲子園では完全に雰囲気に呑まれよそ行きの野球になった。
左打者を並べる宇和島東に対し、
エースのアンダースロー加々爪ではなく一塁手の斉藤を先発させる奇襲が完全に裏目で2回途中KO。
打線も4回無死二、三塁を逃すなどいいところがなく0-9と完敗。
[匿名さん]
野洲はハンドボール出身の素人監督
レスリング出身の素人監督で優勝したサッカーみたいにはなれなかった
[匿名さん]
宇都宮学園は、翌年以降は下馬評は高いのに不思議と甲子園では勝てなかったですね
[匿名さん]
春のベスト8は上宮、宇都宮学園、東邦、津久見、東海大甲府、桐蔭学園、宇部商、宇和島東。
[匿名さん]
夏のベスト8は沖縄水産、浜松商、江の川、福岡第一、浦和市立、宇部商、広島商、津久見。
[匿名さん]
既報のICカード乗車券への積み増し業務の委託業者が、売上金を着服した事件。長崎県は委託先の「光愃商事」の関太社長(41)を、業務上横領容疑で刑事告訴する。委託契約は7日付で打切りに。
関太の名前を聞いて、ピンと来る人は熱烈な高校野球ファンだろう。
関太は1988年の夏の全国高校野球選手権大会、長崎県代表の県立小浜高校のエースとして甲子園のマウンドに立った人。
地区予選で小浜高校は、並み居る甲子園経験校を撃破し初出場。
これを記念して小浜高校は、石碑を建立している。
校訓は「誠実な人」
初戦は開幕戦。対戦相手は将木内監督、仁志敏久選手擁する茨城の雄、常総学院。小柄ながらも右の本格派タイプの投手だった関太はホームラン3本を含む被安打23本、失点19と打ち込まれたが、9回を完投。小浜高校は、6安打1点止まりに終った。
この夏の大会を基に、実名のファミコンソフトまで作られ、関太も投手として登場している。
全て実名だ
高校卒業後は、三菱重工長崎に入社し、ノンプロ野球の人生を歩むことに。しかし、故障がちのため投手から野手に転向するも表舞台は、1992年の都市対抗のメンバーに選ばれただけ。レギュラー選手の座を得ることなく引退し、野球人生に幕を閉じた。挫折感は、相当なものだったろう。
この辺りから人生の歯車が少しずつ、狂いだしたのか——。
私が直撃した6日は、奇しくも会社は最後の営業日。同日の売り上げ約107万5千円の回収に対して同社は応じず、保証金を充てても約7万円が未収になっている。
高校野球を特集した当時の雑誌に、関太のインタビューが載っていた。それには「19点もとられたけど、完投できて気持ちよかった」と書いてあった。
純粋無垢な高校球児だった関太。大人になってからは、公金を横領して「気持ちよかった」と感じたのだろうか。
[匿名さん]
始球式の浩宮様がそのまま続投すれば常総学院は打てなかったのに
[匿名さん]
まだやってんの。
好きだねー。
川崎って故障してやめた投手だよね?
[匿名さん]