「スローカーブをもう一球」(山際淳司・角川文庫)を思い出す。
この小説の題材として取り上げられている。
[匿名さん]
中曽根じいちゃんの母校だよね。
ご冥福をお祈りいたします。
[匿名さん]
7年前のセンバツ初戦の近江戦は大敗かな?
2−7だったけど。
[匿名さん]
そうそう、中曽根康弘氏は81年初出場を果たした時に
福田赳夫元首相とともに喜んでおられたんだ。
「タカタカ(『高』崎『高』校)が甲子園出場するなんて、
東大が明治、法政を破って出場するようなものですよ」。
福田氏は「国会の都合がついたらぜひ応援に行きたいものだ」と仰っていた。
それに対して中曽根氏は「私らが応援に行ってしまったら選手ばカチンカチンに
凍ってしまうでしょう。テレビで見るのが本当の応援だ」と仰っていたのを思い出す。
[匿名さん]
83年の春季関東大会にも勝ち進んだと思った。
ただ、夏の甲子園出場はならなかった。
渡辺久信(元西武監督)の前橋工かと思ったら、代表は太田工だった。
高崎高校をモチーフとした「スローカーブをもう一球」(山際淳司 角川文庫)は
最後の文章がよかった。「投手は微笑んだ。いつものモーションに〜」という締めくくり。
この小説に載っているが、学校職員も甲子園なんて考えもしないから
81年選抜に選出されたとき、部費が不足していて困ったそうだ。
[匿名さん]
81年選抜の星稜戦での戦いぶりを見ていると夏はどうか?と思っていた。
選手権予選は初戦で玉村に7−0で勝利。
次戦で強豪・東京農大二と対戦し2−4で敗れている。
善戦しているところを見るとそこそこの力はあったのだろうか?
前年秋季大会準決勝でも翌年選抜8強の日立工(茨城)を2−0で破っている。
同決勝では翌年選抜準優勝・印旛(現・印旛明誠 千葉)に敗れはしたが、
2−5で全く歯が立たなかったわけではない。
エース川端も印旛・月山栄珠(元阪神)を最初の2打席は打ち取っている。
81年夏の代表は1年生エース・ナベQ(渡辺久信
元西武監督)を擁した前橋工だった。
[匿名さん]
ウソでしょ?
元監督の境原尚樹さん、死去
ご冥福をお祈りいたします、合掌・・・
[匿名さん]