捕手/大久保秀昭(日本石油=JX-ENEOS)
冷静なリードに勝負強い打撃で、5年間に4回の社会人ベストナインを手にした大久保秀昭。
冷静なリードに勝負強い打撃で、5年間に4回の社会人ベストナインを手にした大久保秀昭。
桐蔭学園高から慶應義塾大を経て、1992年に日本石油(現・JX-ENEOS)へ入社。巧みなリードと長打力で1年目から社会人ベストナインに選出され、93、95年には都市対抗で優勝。日本代表の正捕手としても、アトランタ五輪の銀メダルに大きく貢献した。97年にドラフト6位で大阪近鉄へ入団し、2001年までプレー。04年から2年間は横浜(現・横浜DeNA)でコーチを務め、06年に新日本石油ENEOSで監督に就任する。08年に都市対抗優勝に導くと、12、13年は51年ぶりの都市対抗連覇を果たす。15年から慶大監督に就き、リーグ優勝2回。
●一塁手/西郷泰之(三菱ふそう川崎−Honda)
25年の現役生活の中で、優勝6回、通算14本塁打など都市対抗でも数多の実績を残した西郷泰之。
25年の現役生活の中で、優勝6回、通算14本塁打など都市対抗でも数多の実績を残した西郷泰之。
日本学園高から投手として、1991年に三菱自動車川崎へ入社。打者に転向すると、左右に打ち分ける巧みなバットコントロールで台頭し、95年には日本選手権初優勝に貢献する。この年から日本代表にも選出され、96年のアトランタ五輪ではチーム最高打率で銀メダル獲得の原動力となる。2000年には都市対抗で初優勝。以後、補強も含めれば、02、03、05、07年にも黒獅子旗を手にし、チームの活動休止でHondaに転籍した09年にも、13年ぶり2回目の都市対抗制覇を成し遂げる。都市対抗通算14本塁打、社会人ベストナイン6回は、ともに最多タイ。
冷静なリードに勝負強い打撃で、5年間に4回の社会人ベストナインを手にした大久保秀昭。
冷静なリードに勝負強い打撃で、5年間に4回の社会人ベストナインを手にした大久保秀昭。
桐蔭学園高から慶應義塾大を経て、1992年に日本石油(現・JX-ENEOS)へ入社。巧みなリードと長打力で1年目から社会人ベストナインに選出され、93、95年には都市対抗で優勝。日本代表の正捕手としても、アトランタ五輪の銀メダルに大きく貢献した。97年にドラフト6位で大阪近鉄へ入団し、2001年までプレー。04年から2年間は横浜(現・横浜DeNA)でコーチを務め、06年に新日本石油ENEOSで監督に就任する。08年に都市対抗優勝に導くと、12、13年は51年ぶりの都市対抗連覇を果たす。15年から慶大監督に就き、リーグ優勝2回。
●一塁手/西郷泰之(三菱ふそう川崎−Honda)
25年の現役生活の中で、優勝6回、通算14本塁打など都市対抗でも数多の実績を残した西郷泰之。
25年の現役生活の中で、優勝6回、通算14本塁打など都市対抗でも数多の実績を残した西郷泰之。
日本学園高から投手として、1991年に三菱自動車川崎へ入社。打者に転向すると、左右に打ち分ける巧みなバットコントロールで台頭し、95年には日本選手権初優勝に貢献する。この年から日本代表にも選出され、96年のアトランタ五輪ではチーム最高打率で銀メダル獲得の原動力となる。2000年には都市対抗で初優勝。以後、補強も含めれば、02、03、05、07年にも黒獅子旗を手にし、チームの活動休止でHondaに転籍した09年にも、13年ぶり2回目の都市対抗制覇を成し遂げる。都市対抗通算14本塁打、社会人ベストナイン6回は、ともに最多タイ。