「ドームは禁煙にしろといつも言っていたは落語家の初代林家三平さんだった。ドーム(どーも!)吸いません(スイマセン!)」
(デーブ・スペクター)
[匿名さん]
2021/05/27 18:05
菊水酒造(新潟県新発田市)と新潟プロレス(新潟市東区)は、若手プロレスラーの頂点を決める「若獅子菊水杯トーナメント」を含む7試合を、新発田市五十公野のサンビレッジしばたで開催した。会場にはプロレスファンら170人が、感染症対策のため声援は送れないが、拍手やメガホンをたたくなどして、闘いを盛り上げた。
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メインイベントでは、新潟プロレス初参戦となる大仁田厚や79歳の日本人最高齢レスラーグレート小鹿、新潟プロレスのシマ重野の3選手がタッグを組み、反則OKのデスマッチに挑んだ。
[匿名さん]
コミックの『タイガーマスク』にも出てたよ
実力派として悪の組織レスラーと戦ってた
それぐらい素晴らしいレスラー
[匿名さん]
最終的に相撲界にはなじめなかった。
とても陰湿ないじめに遭っていたからだ。
先輩力士たちの「眉毛抜き」いじめは今でも許せない!
どのスポーツ界にもいるが、自分の将来に限界を感じた人間は、いじめに走る。
俺は相撲の才能はなかったけど「人を見る目」だけは確かだった。「この人はいい人なのか、悪い人なのか」という判断が、本能的かつ即座に下せたんだ。だから初対面の九重親方に黙ってついていったと思うし、その判断力は後に波乱ばかりだったプロレス人生でも役立つことになる。
元十両で、番付がかなり下まで落ちていた30代の兄弟子がいた。俺はこの男に目をつけられてしまった。殴る蹴るなんて日常茶飯事だ。部屋で泥棒騒動が起きた時は若い衆が毎日1人ずつ半殺しにされ「小鹿、明日はお前の番だぞ」と脅迫された。結局、犯人が分かって俺は半殺しにはされなかったが、親方の目を盗み、後輩をいたぶるという姿勢がどうにも許せなかった。
一番精神的に参ったいじめがある。大部屋だと親方にばれるから、床山さんの部屋に呼び出される。5~6人の兄弟子に手足を押さえつけられて、眉毛を一本ずつピンセットで抜かれた。痛いなんてもんじゃない。白い和紙の上に眉毛が50~60本くらいになると「今日はこれぐらいで勘弁してやろう」とようやく解放される。地獄だった。
俺は北海道で貧乏のドン底を体験していたから、どんな理不尽なことにも耐えられたが、このいじめだけは今でも許せない。人前では絶対泣いたことのなかった俺でも、屋上へ洗濯物を取りにいくふりをしてシーツに頭をくるんで泣いた。泣きに泣いた。このままじゃ故郷のおふくろに合わせる顔がない。そう考えると涙が止まらなかった。
[匿名さん]
偶然だが、部屋には後にプロレス入りする安達(勝治、ミスター・ヒト=故人)がいた。
俺は「兄弟子をボコボコにして辞める。悪いけど手足を押さえる役をやってほしい」と頼んだ。
彼は冷静で「今の体力なら逆に負かされますよ」と言う。
そこで俺はカーッとなって「分かった。プロレスラーになってあの男を殴りに来る」と口走った。
これは本当の思い付きで出た言葉だった。実際にプロレス入りするまではあと数年を要することになる。
だけどプロレスは大好きだった。若い衆の間では「小鹿は大のプロレス好きだ」と言われていた。兄弟子がテレビでプロレス中継を見ると、俺も一番後ろから食い入るように画面を見ていた。
外国人を空手チョップでなぎ倒す力道山先生の姿は衝撃的だった。
[匿名さん]
と言いつつ
若手時代の三沢光晴に理不尽なイジメをしたため
ノアと大日本は交流することはなかった
[匿名さん]
プロレス界の生き字引きに日本プロレス~現在までの書物を書いてほしいな
[匿名さん]
佐藤昭雄からすれば付き人制度の導入を声高に主張したトラブルメーカー
[匿名さん]
昔から名前は知ってたし大熊との名物コンビも見てたけど
和田京平氏らと対談してるyoutubeで初めて喋る姿を見た
すごく朴訥とした人なんだな
年を重ねて丸くなったのもあるだろうが、ずっと怖い人だと思ってたから、拍子抜けというかギャップを感じたわ
[匿名さん]
まだ生きてんの?
本当は死んでんのに本人が気づいてないだけじゃねえの?
[匿名さん]