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2019/07/31 21:45
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NO.6958444

康京和氏、イバンカ・トランプ米大統領補佐官と面会…韓国に招待も
康京和氏、イバンカ・トランプ米大統領補佐官と面会…韓国に招待も
韓国外交部の康京和(カン・ギョンファ)長官が国連総会を契機に米ニューヨークを訪問した席でドナルド・トランプ大統領の長女イバンカ・トランプ大統領補佐官に会い、訪韓を招待した。

外交部が25日、明らかにした。

外交部によると24日(現地時間)、イバンカ補佐官は康長官の招待で駐国連大韓民国代表部を訪問した。

イバンカ氏が同本部を訪問するのは今回が初めてだ。

康長官はこの席でイバンカ氏が2月に平昌五輪閉会式に訪問したことと米韓両国民の友情増進に寄与したことに感謝の意を表した。

また康長官は、イバンカ氏の近日中の韓国訪問を促し、イバンカ氏も必ずまた訪韓したいと答えた。

これを前に、ヘザー・ナウアート国防省報道官はこの日、康長官がイバンカ補佐官を韓国に招待したとTwitter(ツイッター)を通して明かしていた。

イバンカ氏は今年2月、平昌(ピョンチャン)冬季五輪の際、韓国を訪問。

文在寅(ムン・ジェイン)大統領夫人らと共にスノーボード競技を観覧した。


【日時】2018年09月25日(火) 14:36
【提供】WoW!Korea


#12018/09/25 15:15
泥舟に乗っちゃった不憫な二人だな。

[匿名さん]

#22018/09/25 21:51
何処に向かって行くのだろう。

[匿名さん]

#32018/09/25 22:00
またポシンタンやホンタクをゴリ押しされてトンスルで乾杯させられるぞ❗️

[匿名さん]

#42018/09/27 15:32
キムチでおもてなしか?

[匿名さん]

#52019/01/17 13:45
元売春婦のばばあが抱きついて歓迎します

[匿名さん]

#62019/01/26 21:15
イバンカ招待?
行くわけねーじゃん バカなのか?
能無しポンペオに叱咤された
白髪ばばあは学習能力ナシか?

[匿名さん]

#72019/01/26 22:05
日本だけ仲間外れニダ(笑)

[匿名さん]

#82019/01/26 22:47
>>0
去年の9月www

行く気ゼ〜ロ〜

[匿名さん]

#92019/01/26 23:53
韓国行くほど暇じゃねえわな

[匿名さん]

#102019/01/27 15:45
再選危機が言われるトランプ
そろそろ成果がほしいが、いまのところめぼしいものが出てこない

[匿名さん]

#112019/01/27 17:21
行くと漏れなくレイプされます

[匿名さん]

#122019/01/27 17:58
康京和氏、イバンカ・トランプ米大統領補佐官と面会…韓国に招待も #12の画像
トランプ政権の正体

[匿名さん]

#132019/07/13 21:20
キ◯ガイ韓国文と康 死ねばいいのに🎵

[匿名さん]

#142019/07/13 21:56
■日露戦争を画策したハザール系ユダヤの狙い


1904年、日露戦争が勃発した。日露戦争はユダヤ人の画策により、隣同士の2つの国が衝突することになった戦争である。当時、イギリスのユダヤ人が挑発的な行動に出て、日本もロシアも知らないうちに戦争に巻き込まれていった、というのが実際のところである。日本とロシアの歴史的な関係は、決してよい関係とはいえないかもしれない。が、そこにユダヤ人の画策があったことを考慮に入れなければならない。そう主張するロシア人は少なくない。たとえば、ロシアで出ている『日露戦争におけるユダヤの役割』という本なども、そうしたユダヤ人の動きを論じたものだ。



日露戦争当時、ユダヤ人たちは「ロシア政府の敗北」というスローガンを掲げて革命運動を展開した。このスローガンによって、ユダヤ人の革命家たちは、ロシア政府の敗北を望む日本やアメリカから革命資金を導入することを容易にもしたのである。日本の資金力はそれほど大きなものではなかったため、主にアメリカの資本が投入された。アメリカの大資本家であり、アシュケナジー・ユダヤ人であるヤコブ・シフが、ロシアのアシュケナジー・ユダヤ人の革命家たちに多額の援助を与えたことは知られている。

[匿名さん]

#152019/07/13 21:59
>>14続き
こうして第一次ロシア革命の嵐がロシア全土を襲ったが、1906年5月、ロシア政府はストルイピンを首相とする新政府を構成した。

このストルイピンという人物は、民族主義者・国家主義者であったため、強固な反ユダヤ的な政策をとって革命運動を鎮圧していった(そのためレーニンもジュネーブに亡命している)。ストルイピンは「強いロシアをつくろう」というスローガンを掲げて、今日のロシアの「改革」とはまったく異なる、ロシア人によるロシア人のための政治・経済改革を進めていった。
しかし残念なことに、1911年9月、ストルイピン首相は暗殺されてしまった。ストルイピンがキエフに行った際に、ニコライ2世とともに劇場でオペラを見ていたときのことである。彼の席の近くにボグロフというユダヤ人がいた。彼は反体制派、社会革命党の党員で政府の警察のエージェントでもあった。彼はストルイピンの席近くへやって来るや、ニコライ2世の面前で、ピストルを2発、ストルイピンめがけて撃ったのである。
ストルイピンが亡くなったことによって、ロシア人によるロシア人のための改革も終わってしまった。

その頃、ロシアの資本主義経済はかなり強くなっていた。すでに、世界の資本主義諸国の中でも、決して引けをとることのない資本主義国家になっていた。当時のロシアの経済成長率は11〜15%で人々の生活水準も高かった。それは10月革命以前のことである。

[匿名さん]

#162019/07/13 22:17
>>15続き
■■ユダヤ人が担ったロシア10月革命


ストルイピンが暗殺されると、ユダヤ人たちはもう一つの革命の準備に入った。1917年11月6日の「10月革命」である。

この10月革命はユダヤ人による革命であった。これは疑いの余地がない。いうまでもなく、革命を指導した者のほとんどがユダヤ人だからである。10月革命の前に、トロツキーをリーダーとする70人のユダヤ人グループが、ニューヨークからやって来ていた。アメリカのユダヤ人資本家ヤコブ・シフは、このトロツキーのグループを支援していた。

そのときロシアは、ドイツとの戦争の真っ最中であった。第一次世界大戦である。ドイツの方面からも、レーニンのグループがロシアに入った。このグループもまた、ほとんどがユダヤ人だった。10月革命は、アメリカとドイツの金によってユダヤ人が実行した革命であった。
それにしても、ロシア革命はなにゆえにひと握りのユダヤ人指導者の下に、容易に推し進めることができたのだろうか。ロシア人は黙って見ていただけなのだろうか。当時の革命政府には、ロシア人はほとんど参加していなかったのである。レーニン自身がその事実を述べている。

10月革命が起きてのち、ロシア人は新政権の成立にはほとんど関わることをしなかった。ロシア人としては、このような反民族的なシステムには入りたくなかったのである。

[匿名さん]

#172019/07/13 22:20
>>16続き
レーニンは、政府の官僚として誰を起用するかをじっくりと考える必要はなかった。当時は戦争中だったので、西側からユダヤ人が続々とロシアの中央に移って来た。ソ連の新政権にユダヤ人は約150人参加した。そして、政府のトップ・クラスの人々はすべてユダヤ人であった。政権内部のロシア人は2〜5%ときわめて少なかったのである。

レーニンの祖母はユダヤ人だった。レーニン自身がユダヤ人とのハーフだったのである。ロシア10月革命後の新政権では、そのメンバーのうち99%をユダヤ人が占めていた。しかし、アメリカとドイツからロシアにやって来たユダヤ人たちは、革命家、あるいは共産主義者であり、ほとんどがユダヤ教を信仰していたわけではなかった。
その頃のユダヤ運動には2つの流れがあった。1つは共産主義である。共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しない。もう1つはシオニズムである。シオニズムとは、ユダヤ教徒が自分たちの宗教本部であるエルサレム(シオン)を中心として、自分たちこそ世界を支配しなければならないとする思想である。そのような人々をシオニストという。
10月革命後、ユダヤ人たちはこの2つの流れでともにロシアを支配していたのである。やがてそうしたユダヤ人の中に摩擦が生じるようになった。

1920〜1930年代、アメリカやドイツからやって来た共産主義者のユダヤ人たちと、ロシアにいた150万人のユダヤ教徒との間に、激烈な闘争が巻き起こったのである。革命家たちはユダヤ教を信仰していないため、ユダヤ教徒たちは共産主義者を批判し共産主義者と闘うようになった。

レーニンやトロツキーたちとともに来た人々は、この戦いでほとんど消えてしまった。革命政府の中心にあった者たちは、ほとんど殺されてしまったのである。こうして第二次世界大戦勃発以前に、このユダヤ人の間の闘いには決着がついたのであった。

[匿名さん]

#182019/07/13 22:30
泣きつき外交ゴキブリチョンパンジー

[匿名さん]

#192019/07/13 22:40
>>17続き
■■スターリンを操ったモンスター、カガノビッチの正体


10月革命以降、特に1920〜1930年代に、ユダヤ人はロシアで「国家内国家」をつくっていった。それはまさしく、8世紀〜10世紀ごろに栄えたハザール王国の再現であった。

ロシアにはハザール王国の皇帝の子孫がいたのである。スターリンは傀儡であり、ユダヤ人たちのロボットであった。スターリンは表向きの指導者であって、ユダヤ国家には陰の指導者がいたのである。その陰の指導者がすべての実権を握るほんとうの支配者であった。



それは誰か。 世上、スターリンの片腕といわれたユダヤ人、ラーザリ・カガノビッチである(カガノビッチはいかにもロシア的な姓のように「ビッチ」を付しているが、祖父の時代にはカガンと名乗っていた)。カガン(可汗)とはハザール人たちの言葉で、ユダヤ教の宗教の指導者、皇帝などを意味している。ハザール王国もハザール・カガン国と名乗っていた。カガノビッチの元の姓がカガンであるということは、彼がかつてのハザール王国皇帝の直系の子孫であることを示している。

ハザール王国は数世紀前に消滅したが、その皇帝の直系の子孫が生きていたのである。

[匿名さん]

#202019/07/13 22:42
>>19続き
スターリンは共産党書記長というポストについていたが、カガノビッチはただの書記にすぎなかった。しかし、実際にはカガノビッチやカガノビッチの補佐官が、すべての政策を取り仕切っていた。スターリンはこのカガノビッチの政策の執行者にすぎなかった。

ハザール王国では宗教的権威をもつカガン(皇帝)のほかに、実際の政務を行うビャク(執行者)があった。その意味でも、当時のソ連政府はまさしくハザール王国の再現であった。

一般に「スターリンの独裁」とよくいわれるが、事実はハザール人のハザール王国の指導者による独裁だったのである。この事実は決して触れられることがない。

 

■■ハザールの王・カガノビッチがロシアを支配した


カガノビッチはどのようにしてロシアの国家内国家、すなわちユダヤ国家を指導していったのだろうか。共産党によったのではない。共産党も表向きの形式にすぎなかった。実際には裏の組織があった。それが国家保安省(後の国家保安委員会=KGB)である。国家保安省の幹部のすべてがユダヤ人だった。トップだけではなく、中間層も下層も、ほとんどがユダヤ人で占められていた。

国家保安省にはベリヤというきわめて危険な人物がいた。彼はユダヤ人(母親)とのハーフで、グルジアの北コーカサス出身のユダヤ人であった。ベリヤはカガノビッチの従兄弟にあたる。カガノビッチはベリヤ、すなわち国家保安省を通して、ロシア=ハザール国家を支配していったのであった。

[匿名さん]

#212019/07/13 22:43
なゲーよ

[匿名さん]

#222019/07/13 22:44
>>20続き
またその頃、ユダヤ人は国家保安省の中に「収容所」という新しいシステムをつくった。ソルジェニーツィンの著書『収容所群島』には、このシステムについて詳しく述べられている。各収容所の所長は9割がユダヤ人だった。収容所システムを初めに導入した人物は、フレンケルというユダヤ人の革命家である。収容所はロシア人の奴隷を収容するためにつくられた施設だった。



革命が成功すると、ユダヤ人たちはロシア人を完全に支配下におこうとした。そのためにはロシアの「頭」を切り落とさなければならない。「頭」というのは日本でいえば天皇であるように、ロシアでいえばツアー、すなわち皇帝であった。

[匿名さん]

#232019/07/13 22:45
>>22続き
ユダヤ人はまず当時のツアー、ニコライ2世を家族もろとも全員暗殺した。革命の翌1918年7月、ユダヤ人はウラル山脈のエカテリンブルグ(現在のスベルドロフスク)のある家の地下室で、ツアーとその家族をすべて銃殺に処した。

そして、その家の壁にサインを書き残したのである。それはヘブライ語で「皇帝は暗殺された、国家は破壊された」と書かれていた。私(イワノフ)はそのサインを自分の目ではっきりと見ている。

エリツィン大統領は当時、その町の第一書記だったが、このエリツィンの命令によって、ツアーが殺害された家は完全に破壊されてしまった。今はもう誰もこのサインを見ることはできない。家も壁も残されていないからである。

[匿名さん]

#242019/07/14 00:10
イバンカかわいい〜それに比べてハングルの顔!
紙くずみたいにブス

[匿名さん]

#252019/07/14 02:13
>>23
現代においても金儲けの為に紛争の種をばら撒いているのは世界中で一番最初に銀行を創ったユダヤ人だと知っているよ。

[匿名さん]

#262019/07/31 21:45最新レス
キ◯ガイ嘘つき妖怪白髪ババアはさっさと死ねばいいのに🎵てい

[匿名さん]

スレが立ってから30日を過ぎるとレス投稿が出来なくなります。

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