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🐟 函館市雑談


No.11681026
合計:
#386
日東駒専の次のレベルの中堅私大群「大東亜帝国」(大東文化、東海、亜細亜、帝京、国士舘)は、そのニックネーム通りに右派寄り≒体育会系が強い脳筋大学と見られていた。
学力面では有名大学に及ばないものの、1960年代まで上位大学では盛んだった学生運動では(武道系部活動の学生たちに抑え込まれるなどして)目立っておらず、民間企業からは営業現場など前線の戦力として一定の評価を得ていた。
これらの大学が、右寄りの暗い印象から脱皮して明るいイメージを打ち出したのが第2次ベビーブームで受験生が激増した1990年代の私大文系バブル。
亜細亜大は、一芸入試が「けん玉で入れる」などと揶揄されたものの、国際色を打ち出してレベルアップを成し遂げていた。

90年代には、同レベルの大学群で「亜拓国立大」亜細亜、拓殖、国士館、立正、大東文化)という括りもあった。
読み方は「アタックこくりつだい」で、まさに学力低めの脳筋大学と見られていた大学が、地方の旧高等商業学校系の名門国立大に肉薄する偏差値に達している情勢を表した言葉であり、驚きを持って受け止められた。


[ 匿名さん ]
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