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⛩️ 神道・仏教


No.5641621
合計:
#281

天台の五時の教判の時代区分には大変多くの
矛盾点が指摘される。

①華厳経の中に祇園精舎が出てくる。
 成道後21日間に説かれたはずの
 華厳経の中に祇園精舎が出てくるのである。

 祇園精舎といえば、強信であったギッコドク園長者が
 釈尊に寺を寄進しようとした。
 ところが、その土地が祇多太子の所有であり
 「土地に黄金を敷き詰めなければ譲れぬ」と
 破格の条件を出してきた。
 長者は驚かず、土地を金貨で埋め尽くそうとした。
 その気概に驚いた祇多太子が、
 共に寄進されたのが祇園精舎である。
 そんな経緯で建てられた祇園精舎が21日間で 建てられる筈がない。

②華厳経には舎利弗、目蓮というお弟子が出てくる。
 舎利弗・目蓮といえば、釈迦十大弟子のトップに
 挙げられる両人である。

 しかし、彼らが釈迦如来にお会いするのは
 成仏後、7〜8年ごろである。
 当然21日間に出てくるはずがない。

③阿含経の中に釈尊入滅の相が説かれている。
 阿含経といえば華厳経の後に説かれたお経だと
 いっている。

 ところが阿含経の中に80歳で入滅される
 釈尊のお姿が説かれてあるのだから不思議である。これからも分るように釈迦一代の教えを時代区分する
こと自体が問題なのである。
経典はそのような構成になっていないからである。

当たり前だ。釈迦は毎回 同じ人に教えを説いた前提でしか理窟が合わない。


[ 匿名さん ]
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