>>967
高橋幸弘殿
一
成る程、小生は貴殿が仰せの通り我が目は「節穴」かも知れないが、小生から見れば貴殿は相当の視野狭窄に陥っているものとお見受け致します。
貴方の悪い癖は自分の都合のよい箇所だけを切り取って、勝手気儘に解釈することにあります。
先ず『観心本尊抄』の主題は何かと言うことを知らなければ、本抄に顕されている日蓮大聖人の真意を汲み取ることは出来ません。
本抄の正式名称は『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』です。
この題号には時・応・機・法の四義が表されています。
時すなわち如来滅後は上行菩薩出現の時
応とは始む
機とは末法の衆生の観心
法とは人即法の本尊
この題号に則り、その内容は大別して四段に分けられています。
第一段では一念三千の出処を示し一念三千が情非情に亘ることを明かし、第二段では末法の観心を明かし、観心とは衆生の観心であり本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経を唱えることに尽き受持即観心を説かれ、第三段では末法に建立されるべき本尊を明かし、五重三段の教相を論じ、釈尊の教相すなわち寿量文上脱益の本尊を脇士として否定して、寿量文底下種益の本尊を示されて末法の衆生の観心の本尊として結ばれている。
そのマクロ的視点に立って読まないと日蓮大聖人の真意は読み取れないのです。
では高橋幸弘殿が鬼の首でも取ったかのように自慢している文証の本来の意味を本抄全編から考察し、貴殿が如何に文切り解釈をしているのかを明らかにしましょう。
二に続く