爆サイ.com 北海道版

神道・仏教


No.5771424
#960

一番目の色これは肉体 物質 これを色蘊という。
これが無かったら いくら心があっても さっきです。
水が飲みたいと思っても飲めない。この色のつく色、形、物質ていうものの色蘊を得るがゆえに 人間が人間としての営みが出来る。
やっぱり死にたくない、手放したくないと思うのは無理からん所ですけれども
受想行識(じゅそうぎょうしき)
これが心を この四つに分けておられるという事です。

「ハイ、Aさん、これを投げるよ!ソレッ」
(重い花瓶を投げるふりをして)

色、肉体がある 目の玉がある 鼻がある 口がある 耳がある 皮膚がある
こういう物体 物質 肉体というものを持っている。
そして そこに六根がある。
眼耳鼻舌身意。穴があいている。
それが受ける機関だから、さっきのように花瓶が飛んで来たら えらいこっちゃと思う、まさか投げはしないが こうして投げる格好をしたらどう?

あんな顔をしなくてもいいのにね、でも そういうふうに受想行というふうに、受ける、入ってきたでしょ?

そこで危ないと思ったら身体をビッと動かして
受想行というふうに受けて返しが出来る。
聞いたら やり返してくる、入ってきた蘊、受け止めた、そこで何かと思って返動が出てくる。

聞いた、そこまで言わんでもよかろうにと ブーとはぶてる。
受想行、受想行 この受想行で私達は生きている。

受だけだったら しんどいね。こうやって(見る、聞く等)で終わり。
でも 想ってそれを出して行く。
この精神的な営みが肉体の中に くっついていてくれるお陰で生きている。

死ぬ時は一番目の色と受想行が離れていくという事。
最後の識。この識がくせ者で ここに今 色々 受想行の体験 経験というものが蓄積されているととらえて下さい。


★爆さいの不毛な論議も識に蓄積されるという事は受け流して反応しないのが良いと思います。


[ 匿名さん ]
TOP