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💃🏼 ストリップ総合


No.557230
#598
紫小竜嬢、若い時は入れぽん。私が通い始めた時はマナ板嬢だった。1981年に殆ど筆おろし〜1984年の大学四年間はまるで性春の門。足立区竹ノ塚東洋ショー劇場、草加東洋ショーとも言われた。私の庭だ。私に限らず当時は素人童貞がトルコに行く金がなくてもマナ板に上がれば性交できた。マナ板は貧乏人や学生の福利厚生。とは限らない。金があってもトルコよりマナ板が癖になり観られ見せることが好きな性癖は理解できる。捕まったら公然わいせつで社会的地位を失う。私も結婚後も出張で宇都宮へ行った際舞台に上がってしまった。マナ板ショーは麻薬だ。やめられない。消滅しなかったら今でも上がるはずだ。紫小竜嬢はマナ板嬢の中では、失礼ながらメインディッシュではない。一発目の抜きで、二発目は本命の花耳というのが私のオーダー。また、ジャンケンに勝てず、本命の指名代打としての二発目。欲望の対象だったし、化粧やドレス、小柄の痩せ型だから年齢より若く見えたのは事実です。私が学生、彼女は年齢倍だったかも。自分は35くらいと言い聞かせてたが、それはヤルためのエクスキューズだと思う。45かも。それでも毎回ピンピンにカチカチに勃起して、ゴムフェラされながら小さな尻を撫ぜてた。何故か舞台の上でも紫小竜嬢となら平常心。それは彼女の母性本能があったからかも。他の若手アイドル嬢に血まなこでジャンケンして、負けたなら私にピストンしなさい。残念会よ!と慰めてくれる。本命前の準備運動で速攻でものの30秒で射精しても、ゴムを外しでチンポ拭きなら、次のジャンケン勝てるといいわね!と応援。粗末なおチンチンに産まれたのは運命なのよ、仕方ないわ。私の興行に来て!上がれば必ず満足させてあげる!経験値が安らぎを与える。まるで母親との近親相姦。愛情から性欲の伴う本番マナ板ショー


[ 匿名さん ]
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