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👩‍🏫 教育・教師


No.10553377
合計:
#22
港町で漁師さんのお子さんが多い小学校が初任地だった。初めて担任したのは4年生40人学級。2組しかない学年で、隣りの学級の30代半ば中堅ぐらいの女性教諭が学年主任だった。
 私は夢かない晴れて教員となった喜びと、職責を果たせるだろうかという不安が入り混じり、緊張しながらもやる気に満ちていた。隣りの学年主任に、あれこれ聞きながら一つ一つの仕事をこなし始めた。
 1週目2周目と、学年朝会や身体計測など学年で集まる機会が何度かあったが、私のクラスは私語が多く真っすぐ並ぶこともできずダラダラした感じで、隣のクラスはさっと整然と並べる感じだった。教師は前で見守るだけで、先頭の子が「前へ倣い!」と号令をかけて整列させるだけなのだが、1・2週目から歴然とした差があった。
 2クラス合同で体育などしようものなら、その差は歴然としたもので、整列から競技から何から何まで、私の学級はかなわなかった。
 学級の子供たちは、学級編成の際に、学力・体力・居住地域・コミュニケーション力等々の観点から均等になるように分けられており、子供たちに偏りがあったわけではなかった。それにもかかわらず、わずか1・2週目で集団にこれだけの差ができることに驚いた。
 これは、初任の私に学級経営力がなかった証だ。隣の学年主任は、いつもにこやかに優しい笑みを湛えており、子供たちからも慕われ、休み時間にはいつも子供の取り巻きができるような先生だった。けっして怒鳴ったり暴力を振るったりするような教師ではなかった。私も自分が子供時代にされて嫌だった、恫喝的・暴力的な指導は絶対にしないと心に決めていたので、学年主任の姿は理想的に見え、学級経営や授業のことを何かにつけては教えを乞うようにしていた。
 私の学級に


[ 匿名さん ]
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