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👮 多良間村・宮古島市雑談


No.5268393
合計:
#50
起源は、16世紀頃に琉球王国の領地内で流行した中国式の乾杯である。その当時は、酒宴の開催者が来賓に酒を振る舞うために行っていたらしい。琉球王府時代、穀物の生産量が少なかったので、泡盛は首里でのみ製造を許可されていたため、庶民には非常に貴重品であった。そのため、量の少ない泡盛を酒宴の参加者に均等に分けるために行われた。

この16世紀頃の流行が、御嶽での祭祀の中に取り入れられ現代まで残ったと考えられる。この流行を起源とした風習は、宮古島の中でも限られた地域でのみ見られた。類似の風習が鹿児島県奄美群島与論島にも残っており、与論献奉(よろんけんぽう)と呼ばれている。

この御嶽で祭祀の時に行われるオトーリは、現在広く行われているオトーリとは全く質の違った物であった。祭祀の神役の前にひとりずつ進み出て、祭器(高膳と角皿)注がれた御神酒を一人ずつ順番にアヤグ(祝詞)を神役と共に詠い上げた後に飲み干すと言う形であった。


[ 匿名さん ]
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