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📿 創価学会


No.7732874
#662
>>661

さて、その若光とはどんな人物だったのでしょうか。彼は、高句麗の王族の出身と伝えられ、高句麗滅亡の2年前の666年に来日したと言われています。
相模国大磯の郡長などを歴任した後、716年に武蔵国に新たに高麗郡が設置されるとともに、郡の大領(長官)として赴任してきます。『続日本紀』には
、高麗郡設置に際し、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7カ国に居住していた高句麗人あわせて1779人を移住させたとあります。
この間、朝廷から従五位下という位階や「王(こきし、こにきし)」という姓(かばね。身分をあらわす称号)を与えられていた高麗王(こまのこきし
)・若光は、彼らを率いて新天地の開発にあたることとなったわけです。若光の死後、郡民が遺徳をしのんでその霊を高麗神社にまつりました。


[ 匿名さん ]
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