爆サイ.com 沖縄版

神道・仏教


No.5771424
#379
>>376

RSD氏の書き込み

ゴ-タマ・ブツダ本来の仏教は行くべき主体すなわち霊魂等の実在は認めていません。したがって、行くべき主体がないのだから、行くべき処も無く、その手段も無く、その行き方も無く、その時の状態(死んだらいた)も無しです。ブツダは人の死後に就いての質問には、常に寂黙していたそうです。つまり、いくら考えても答えが出無いことについては黙っておられたわけですね。寂黙の主は釈迦牟尼世尊と申します。元のものが無いのだから「有り」「無し」も無いのです。般若心経の言葉によれば、「さかしまな妄想は遠く離れて涅槃が極まる」です。要するに「無記」です。「死後がどうのこうの」と言うような形而上学的論議(戯論)については思考や論議は止滅しています。以上が私の拙い仏教理解のよる回答です。

さて 良くよんで下さいね。
学者が間違いやすい項目を一つずついきます。

まず霊魂の存在は認めていない(学者の殆どか言います)

は霊魂は有ります。
ですから行くべき主体はあるし
元のものもあるし
修行を積めば分かる事です。
元の物が縁起する現象を
空(くう)と表す。

元のものとはキラキラしている焼き場で焼いたあとに残っている
分かりやすく言えば
魂 です。

これが仏陀 直接の説法であり日本で分かっている
僧侶は1人とか それぐらいでしょう。
キラキラ輝く元のものが
黄金色にしか見えない為に
仏像は黄金色が多いのです。

キラキラ輝く元のものは科学では未来永劫に発見されない最小のものです。(物質とは言えない)

木も野菜も虫も犬も人間もキラキラ輝く元のもの(根元)が縁起し現れた現象であり
全てのものが一切平等である事を現しています。

般若心経の解説では殆どが
くうを無しに解釈する為に勘違いする人が多いようです。


[ 匿名さん ]
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