深刻な外交的対立点が無かった米英を敵とする国防方針を立て、結果的にそれを実行したことだろう。
その根っこは日露戦争で“勝ちすぎた”ことにある。
我が国の脅威は大陸から来る。
そして明治以来我が国が恐れたのはロシアが沿海州〜樺太方面と朝鮮半島を支配することだった。
その状況が実現すれば、我が国は国土防衛において南北の二正面作戦を強いられ、有限な国防資源を分散することになり、圧倒的に不利になると予想された。
しかし日清・日露戦争を経て、その脅威は消滅した。
ロシア陸軍は残ったが、我が国は朝鮮半島に常備師団を置けるようになった。
そして日本本土を直接脅威するロシア海軍が消滅した。
これで万事うまくいくはずだったが、問題は“日本海軍の存在意義”が低下したことだ。
本来なら海軍戦力を半分に減らすことも可能だったが、海軍は自らの権力〜予算維持の為に、軍縮に反対することになる。
その為の方便が“我が国の敵は強力な海軍を持つ米英だ”という主張だ。
この後も、海軍は陸軍との予算獲得競争に没頭し、戦う必要のない相手との戦争に国を導くことになる。