爆サイ.com 沖縄版

🕌 宗教総合


No.6435767
合計:
#935
ttp:\/\/leifras.air-nifty.com/news/2005/07/post_49c2.html
{「上善は水の如し」}
{「上善は水の如し」—もっとも理想的な生き方は水のようなものである。
 水は万物に恩恵を与えながら相手に逆らわず、人の嫌がる低い所へ流れていく。 低い所に身を置き、淵のように深い心を持っている。
わけへだてなく、言うことに偽りはない。政(まつりごと)には破綻を生せず、物事には適切に対処し、タイミングよく行動に移る。
これこそ水のあり方に他ならない。 (新釈「老子」講義より) }

「水と神とは同じ事、心の汚れを洗いきる」
老子の教えは、「上善」を説いている。
親神様は、「心の汚れを洗いきる」と言われた。
子供の頃うそだと思った。
洗剤がないと荒い切れないのではと思った。
そして、「切る」とは、「大食天命様」。・・・・・???

ttp:\/\/www.sugino.com/products/qa/qa_cut.html
{超高圧水による切断についてのQ&A}
{なぜ水で切ることができるのですか?}
{みなさんはホースの先を指で押さえて水を飛ばしたことがありませんか。
ホースの先を押さえて出した水は勢いが強く、また遠くに飛びますよね。
この原理がウォータージェット切断の原理です。
水圧を高くし、水を出す穴を細くすることで、水が鋭利な刃物に変身します。}
{ウォータージェット切断では、300MPa(約3000気圧)という非常に高い水圧を使用します。
これは水道水の約1000倍の水圧に相当し、加圧水は音速の2倍を越える、ものすごいスピードで飛び出します。
この水が切断物に当たった時に発生する衝突力で、あらゆるモノを切断します。}

確かに、水は「すべてを洗い切る」。
親神様の言われることは、老子の思想のように上善を水に喩えたものではない。
「水」=「理」=「神」は、心の汚れを一転集中の高圧放水で、洗い切る。天理です。

> 関根豊松先生は水にたとえられました。      
> 水は低いところにながれていく。水はすなおです。 
> 砂糖をいれたら甘くなり、塩をいれたらにがくなり、火であたためたら熱くなり、掃除では汚い水となる。
関根先生は博識の知識人です。
老子の思想から、それを元として、当時に説かれていた天理教内の説法を、用いておられたということです。
幾つかのその頃の本には、こうした水についての教話が書かれています。
でも、それは、おやさまの教えの前の、修理肥の教えであり、
天理としては「水と神とは同じ事」なのです。

原典を根においての思案では、人がわかるということよりも、人がわからない、理解できないことに、重点をおきます。
それまでにあった教えをわざわざ語るのは、おやさまには無い事です。
人が「おかしい」と思うようなことに、思案の根を老いて見ないと、天理が、この世の元の理であるということは、理解され無い事となります。


[ 基本。 ]
TOP