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No.5929644
合計:
#950
ジャンボ鶴田 - Wikipedia


全日本プロレス入団

20代の中頃までは若い女性の親衛隊もいたほどの人気であった。


1980年代前半:世界の鶴田へ

1980年代前半は、NWA世界ヘビー級王座やAWA世界ヘビー級王座(当時世界三大王座〔NWA・AWA・WWF〕の中のふたつ)に対してあと一歩でタイトルを取り逃がす歯がゆい試合を続けたため「善戦マン」と呼ばれていたが、1982年のNWA戦からタイツも黒を基調としたエースらしいものに変更し「善戦マン」からの脱却を心がけた。この当時の鶴田について上田馬之助は「ジャンボはなぁ…あれだけ恵まれた体格をして、才能、瞬発力、柔軟性、運動神経を全て高い次元で持っているのに……ジャンボには何かこう、ガツーンと来るものがないんだよね。全日どころか日本マット界のエースになれる素材なのに。藤波もそうだけど、デビュー当時からの『爽やかお兄チャン』のイメージを、いまだに捨て切れてないというか。まぁ、最近はトランクスを黒に変えて、自分の中の何かを変えようと必死になっているのは分かるけどね」と語っていた。


人物・評価

・現役時代からフォークシンガーとしてレコードを発売したり、ファンの前でギター片手に歌ったこともある。井上陽水の「傘がない」をテレビで披露したこともある(ただし付き添った川田曰く「アンコールはなかったね」とのこと)。

・上記の通り藤波と共に上田馬之助から「ガツーンと来るものがない、デビュー当時からの『爽やかお兄チャン』のイメージを、いまだに捨て切れてない」と批判された事もあった。ただ、鶴田26歳、藤波24歳の時に別冊ゴングで行われた対談では「プロレスラーは怖いオジサン達の集まり、というイメージを僕らで変えていきたい」という考えで藤波と意気投合している。


[ 匿名さん ]
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