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No.5730485
合計:
#57
驚異的な復興を見せたヒロシマ


<1945年8月6日>

原爆投下の当日、6日正午過ぎには、国鉄広島駅から山陽本線上りの西条駅まで列車を走らせ、折り返し広島駅に帰り、再び西条方面に向かうというピストン運転を開始している。(56時間後には山陽本線の下り線も開通)

水道も、駆けつけた技術者の働きで、当日6日午後2時には復旧。

<8月7日>

電気は、駆けつけた技術者が徹夜で復旧作業にあたり、翌7日に送電再開。(20日には市内の3割、11月末には全域の送電が完了) 

放送は、NHKが翌7日午前9時に放送再開。

<8月8日>

銀行は、2日後の8日に12の民間金融機関にも窓口を貸し、民間金融機関揃って営業再開。

<8月9日>

中国新聞社が、9日付けの新聞から発行再開。

広島電鉄は、9日に市内電車の一部区間で運行を再開、同時にバス2台も運行再開した。


このように、15日の終戦を待たず、広島市内のインフラが復旧したのである。


なぜ広島では、このような素早い復旧が可能だったのか。

軍都である広島は、空爆必至の判断のもと、「ドイツのベルリン、ハンブルグの疎開よりも完璧」と称されるほどの防衛体制が確立されていた。

その防衛体制は全県下にはりめぐらされており、被爆直後の救援ならびに再建活動に大きく寄与することとなった。


画像は、20日後ごろとされる国鉄広島駅前


[ 匿名さん ]
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