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No.5730485
合計:
#69
人間魚雷「回天」の悲劇 

脱出方法がないため、回天に1度乗り込むと必ず死ぬ。


実戦では、最初の攻撃で給油艦ミシシネワを撃沈したのをはじめ、発進20基のうち撃沈2隻(ミシシネワ、歩兵揚陸艇LCI-600)ほか3隻を撃破(損傷)させた。

しかし以後、計148基の回天が出撃するも、アメリカ軍の対応力によって、目標であった米正規空母・戦艦に対する戦果も無く、給油艦など計「撃沈3、大破1、小破4」だけと、乏しい結果に。

命中率は1割未満で、ほとんどの回天は、搭乗員を乗せたまま海底に沈んでいると思われる。


この人間魚雷の構想は、竹間忠三大尉が発案し、工作機械設計者の沢崎正恵が設計、黒木博司大尉・仁科関夫中尉が試作を命じた。

そして米内光政海軍大臣が決裁し、山口県大津島に基地が建設され、搭乗員達の訓練が始まった。


訓練初日、黒木と樋口が乗った回天が、荒波に押されて海底に沈挫した。

脱出方法がないため、黒木は「回天の改善点」などをメモに残すなどして、食料も水も無い狭い中、窒息死するまで過ごした。


後日発見されたが、既に窒息死していた。

メモには、「 回天の改善点 悪天候の浅深度高速潜航の実験が必要 過酸化水素水曹の設置 用弁器が必要 航外灯、応急ブローが必要  平泉・仁科を初めとする先輩・友人などへ感謝 事故は自身の責任 天皇陛下万歳 大日本帝国万歳 帝国海軍万歳  9月6日19時55分  9月7日4時5分 万歳三唱 4時45分 君が代を斉唱  呼吸困難  6時現在 」と書かれていた。

発見されたのは7日9時のことで、3時間前までは生きていた。


[ 匿名さん ]
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