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🕌 宗教総合


No.7233073
合計:
#71
カケヤさん、よろしくお願いいたします。

みき没後に、天理教が全国に拡散されたヒントが、曾祖母てんの入信動機から探りたいと思います。
明治30年入信のてんは、2人目を身ごもっていました。あげくだしが激しく、食べられない状態で明日をもしれん命の時、姉のつるが当時巷で流行っていた「大和に生き神さん」がおられる話を聞きつけ、その村で布教していた人に薄い天理教の冊子をもらいました。
衰弱している妹てんの枕もとで、もらった天理の冊子を何度も何度も読み聞かせていくうちに、てんは御粥を一口食べ、二口食べ、だんだんと起き上がれるまでになり、無事出産することができました。
 
布教師のにおいがけもなく、お授けも受けず、でも天理教の「生き神」さんに助けてもらったと思い込み、それ以降盲信し、5人の子供も天理教を盲信していき、今に至っております。

てんの姉たちは、天理教未信者で今でも経済的に困らずに暮らしております。

経済的に困らず育ったてんの夫が生涯天理教を信仰せず、てんと5人の子供を養っています。
てんは、一信者でありながらも布教に勤しみ、信者をたくさん作っていきました。


[ 徳子 ]
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