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🍎 青森雑談総合


No.10231840
合計:
#964
本州の北辺に位置するわが津軽は、よく知られているとおり藩政時代には、幾度となく凶作・飢饉に襲われました。特に、浅間山の噴火による天候不順が原因と考えられている天明の飢饉は、大きな被害を弘前藩領全体に及ぼしました。

天明3年(1783)は、春先から寒く8月は真夏にもかかわらず、綿入を着て歩かなければならなかったほどでした。藤崎・平賀・黒石などは水田の稲に若干実が付いている村もあったが、ほとんどの水田は青立ちのままで、彼岸になっても穂が出ない状態であった。

五所川原付近の田では、200人役(十三町歩程)余りで粃しいなが40俵程度しか収穫できなかったという。そのため、弘前藩全体では、人口25万人に対して、死者が約8万人、32%という惨状であった。


[ 匿名さん ]
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