東京鵜の木教会にかかわることがなぜ信仰生活の終わりの始まりといわれるのか
それは、東京鵜の木教会にはまった人はバランス感覚を失い、これまで集っていた教会を否定するようになり、東京鵜の木教会以外が正しい教会でないと思うようになるから。
東京鵜の木教会ホームページ
「I.聖書に示された教会の姿」から抜粋
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クリスチャンはキリストの命を聖霊によって持ち、聖霊に支配されていくべきです。しかし実際には、いつしか人が支配するものへと変えられ、生き生きとした信仰生活を送ることができない神の子たちを多く見ます。それは、牧師や役員など特定の人における支配と、それらによる組織の束縛が「神の子のいのち」を細くしていくからです。
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会社でもコミュニティーでも完璧な組織がないように、教会も完璧な組織ではない。使徒たちがいた時代の初代教会にあっても問題だらけだったのである。
人が集まれば建て上げる側と建て上げられる側に別れる。人が集まるところすべてである。
建て上げる側に支配者というレッテルを貼り、束縛する組織という印象を持たせ教会運営に疑問を持たせる手法である。
教会で自分の意見が通らなかった人、問題を起こした人には教会批判をするための最高の根拠である。
東京鵜の木教会が他の教会から信者を奪うことを活動目的としていることがここからわかる。