この試合は、猪木が26歳の時。当時、ドリーはNWA世界ヘビー級王者として初来日だった。
NWA世界王座は当時、ボクシングの世界タイトルと同じように
ファンの間ではプロレス界の世界最高峰とあがめられていた。
さらにこの1969年は7月からNETテレビ(現テレビ朝日)が
猪木をエースに水曜夜9時から「日本プロレス中継」をスタートした年。
しかも翌日の12月3日には勝者が東京体育館で馬場の挑戦を受けることが決まっていた。
ドリーを破れば、NWA王者として馬場と対戦する可能性もあった。
そんなシチュエーションとテレビ局の看板を背負って「世界最強」のドリーと闘ったことは
それまでの猪木にとってレスラー人生最大の闘いだった。
60分3本勝負の試合は、互いに1本も取ることなくフルタイム時間切れ引き分けとなった。
翌日、馬場は1対1でドリーと60分フルタイムとなった。
この試合を「ベストバウト」に指定した理由はやはり馬場の存在だった。
「ドリーとの試合で俺は馬場さんとの違いを見せつけることができた。
ドリーはチャンピオンでプライドも高かったけど俺は互角以上に闘うことができた」