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⛩️ 日置市雑談


No.6962975
合計:
#362
ということで、伊集院市にしよう。

伊集院忠朗は天才でした。
日本最初に鉄砲を実戦に使用した。
島津家の「釣りの伏せ」も彼が考案した。

島津四兄弟の父親、島津貴久に、
「火縄銃(鉄砲)がいくさの勝敗を左右する!」
と説得するものの、島津貴久は伊集院忠朗の忠告を無視。

1543年、日本史上初めて火縄銃が種子島に漂着。
当初の火縄銃は暴発が相次ぎ、兵士の頭が血塗れになったり、頭が吹っ飛んだり大変危険な鉄砲だった。
また、発射するのにかなりの時間を要した。
島津貴久は「こんな危ないガラクタより弓の方が安全、的確!忠朗殿の火縄銃にお金を賭けてるのは馬鹿げておる!」と、伊集院忠朗の猛烈な説得に全く取り合わなかった。
それから6年間、伊集院忠朗は全力傾注で火縄銃を改良。三列縦隊の三段撃ち、繰抜きを発明。発射時間を大幅に短縮。当初より遥かに安全な火縄銃を開発、可能にした。

1549年、加治木城攻め、黒川崎の戦いで、
伊集院忠朗が日本史上、初めて火縄銃を実戦に使用するに至る。

伊集院家は発明一族。天才。
頭が良く優秀な一族である。

日露戦争で「伊集院信管」を発明した伊集院五郎元帥 男爵がいる。
伊集院五郎が発明した伊集院信管と下瀬火薬で、当時、世界最強のロシアのバルチック艦隊を撃破した❕
これらにより日本が大国ロシアに勝利した。
月月火水木金金の軍歌は、伊集院五郎が
「一人足りとも我が別兵士を死なせはしない!」
という優しさから、土日返上の猛特訓が始まり、月月火水木金金という全国的に有名な軍歌が生まれた。

伊集院信管の活躍、功績から、伊集院五郎は天皇陛下より勲一等を授与され、男爵、貴族(華族)となる。

伊集院家は先見の明があった。
初期段階で豊臣連合軍と島津軍の戦力の差を早期に発見。
伊集院忠棟は島津宗家に降伏を説得。
豊臣秀吉の人質となり、豊臣秀吉と島津家の和睦を交渉した。
伊集院忠棟がいなければ、島津家は潰されていたのだ。


[ 匿名さん ]
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