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⛩️ 日置市雑談


No.8013972
合計:
#264
【島津の加治木城攻め】 日本で初めて鉄砲(銃)を実戦に伊集院忠朗が用いたことで知られる。1549年(天文18年)5月、種子島の領主・種子島時尭から贈られた鉄砲を使って、島津の筆頭家老、伊集院忠朗が大隅国の加治木を攻めたもの。1543年日本史上初、火縄銃(鉄砲)2挺が漂着。種子島時堯が日本最初に鉄砲を発砲!種子島に種子島時尭の銅像が建立している。種子島時堯の娘は伊集院忠棟室。種子島時堯は島津貴久筆頭家老の伊集院忠朗に火縄銃2挺のうち、1挺を献上してご褒美を貰う。伊集院忠朗は暴発、誤砲、火縄銃の改良に最善を尽くし、日本最初に鉄砲が漂着した6年後の1549年【加治木城攻め】(黒川崎の戦い)にて、日本史上、最初に鉄砲を実戦に使用した。(百科事典)。織田信長と徳川家康連合軍VS武田勝頼の有名な長篠の戦いはその26年後の1575年である。織田信長が三千挺の鉄砲を使用した。しかし、伊集院忠朗が『三段撃ち』『釣りの伏せ』を考案した説が有力であり、織田信長は伊集院忠朗の三段撃ち(繰抜き=三列縦隊の連射撃法)を真似した可能性がある。『三段撃ち』とは、火縄銃射撃に準備、手間がかかる時間を短縮した連続射撃法。当時の火縄銃を実際に射撃する事はそう簡単ではない。①熱くなった銃身を濡れ手拭いで冷却②銃身のカスを掃除し、前列に渡す③火薬を銃口から入れ④弾を銃口に入れ最前列に渡す⑤口薬を付き固め火蓋を切る⑥最前列者が発射する。結構大変だ。これも伊集院忠朗は考案した。


[ 匿名さん ]
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