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🌋 鹿児島雑談総合


No.10722740
合計:
#657
史実⑮
日本の国旗、【日の丸】を考案した人物は、
島津斉彬。

薩摩藩主・島津斉彬提唱説
歴史学者の松本健一や国文学者の暉峻康隆など、複数の学者の唱えるこの説が定説とされている。

1854年(嘉永7年)3月の日米和親条約調印後、日本船を外国船と区別するための標識が必要となり、日本国共通の船舶旗(日本惣船印)を制定する必要が生じた。
薩摩藩主島津斉彬、幕府海防参与徳川斉昭らの進言によって、「日の丸」の幟を用いることになり、1854年8月2日(嘉永7年7月9日)、老中阿部正弘により布告された。

島津斉彬は老中首座の阿部正弘に、日の丸を日本国惣船印に用いるべきだという建白書を提出するにあたって、水戸藩の徳川斉昭、宇和島藩の伊達宗城、佐賀藩の鍋島閑叟といった有力大名たちにも同意を得ていた。
開明的な藩主たちの後押しを得て、「日の丸」が日本国の惣船印に定められたのである。

島津斉彬は、
【鹿児島城内から見た
桜島から昇る太陽を美しく思い】、

これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。
また薩摩藩から洋式軍艦「昇平丸」を幕府へ献上するため、
1855年1月(安政2年2月)江戸へ回航された際、
日の丸が船尾部に掲揚された。
これが日の丸を日本の船旗として掲揚した、
第一号とされる。


[ 匿名さん ]
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