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🌋 鹿児島雑談総合


No.10722740
#752
史実⑳

島津家17代藩主 島津義弘公 神号 精矛厳健雄命(くわしほこいづたけをのみこと)は、天文4年(1535)7月23日伊作城にご出生、
天文5年に父貴久公と伊集院城(伊集院壱宇治城)に移城、
16才頃まで多感な時期を過ごし、伊集院の当地を深く愛されました。

それ故、慶長9年(1604)当地の【妙円寺】を自身の菩提寺に指定された。

自身の木像を京都の康厳に作らせ安置しました。現在その木像は、ご神体として受継がれ、徳重神社にて大切にお祀りしております。

もともと【妙円寺】は、
元中7年(1390)伊集院城主伊集院長門守忠国の第11子石屋眞梁禅師が、
故あって長州太守【大内義弘】公の娘、
《法智【妙円】の霊を弔う為》に、
建立した寺であります。

島津義弘公の【義弘】は、
大内義弘公の【義弘】。

その後上記の事情で伊集院【妙円寺】は、
島津義弘公の菩提寺となり、薩摩藩の管理下にありました。

しかしながら民衆の怒りの矛先が寺院に及んだ廃仏毀釈運動の全国展開によって、明治2年(1869)11月、藩内一般廃仏制令の下、【妙円寺】も他寺院同様、廃寺となりました。

そして、同年12月28日その【妙円寺】の跡地に、
島津家や郷中の意思により、公の御霊とご遺徳を神聖なものとして祀る為、新たに国風的に創建されたのが徳重神社です。先の大戦終結までは県社として地方官管理下におかれ、戦後は県内有数の一級神社として今日に至っております。


[ 匿名さん ]
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