爆サイ.com 南部九州版

🌋 鹿児島雑談総合


No.10722740
合計:
#807
伊集院🎎①

鹿児島、宮崎県内では島津家を美化し、
伊集院家を悪者に陥れている。
島津家は命の恩人である伊集院忠棟に濡れ衣を着せ、伊集院一族は闇に葬られてしまった。

徳川幕府の実質的指導者だった新井白石は《藩瀚譜》に、伊集院忠棟を、
「島津家の命の恩人。
島津家に忠義な豊臣秀吉の家臣」
と記録を残している。

【庄内の乱】は、関ヶ原直前、都城市で勃発した島津家最大の内乱。徳川家康により和睦した。
徳川家康は加藤清正が伊集院忠真を援助した事に激怒。
その為、関ヶ原、会津征伐に加藤清正は参戦出来なかった。
又、鬼島津こと、島津義弘は【庄内の乱】が原因で関ヶ原に少勢で参戦する羽目となった。

【庄内の乱】とは。
豊臣秀吉の家臣の伊集院忠棟が、
鬼島津の息子の島津忠恒に斬り◯された事に端を発する。
伊集院勢力に怯えていた島津忠恒が豊臣秀吉◯後、伊集院忠棟を斬◯。
これに号泣した伊集院忠棟の息子の伊集院忠真が父親の仇打ちをする。
これが【庄内の乱】です。

怒りが爆発した伊集院家に対し、恩人を裏切る島津家の士気は低く、【庄内の乱】は一年間に及ぶ大乱闘に発展した。
徳川家康により和睦したものの、その後、家康の後押しで島津忠恒は伊集院一族を皆◯しにしてしまう。

歴史専門家は、豊臣秀吉と伊集院忠棟による島津家との和睦交渉のお陰で島津家は潰されずに済んだと分析している。
今日の島津家があるのは伊集院忠棟のお陰なのだ。

《都城の乱》(田代義博著)という小説は【庄内の乱】の本で大変面白く感動した。
勝者は美、敗者は悪、という定義に一石を投じている。
作者の熱い叫びが伝わる。

〔都城歴史資料館〕には、
【都之城】の城主だった伊集院忠棟、忠真の【棟】の一文字すら無く、【庄内の乱】の史実が何一つ、残って無い❗事ビックリしました。

逆に異様に感じ、悲しく、怖くなりました。
ロシアのプーチンとウクライナ戦争が頭を過ったからです。


[ 匿名さん ]
TOP