>>261日露戦争の勝利で日本は世界中で大きく株を爆上がりさせた、のでこの1905年 時点で日本が植民地にされる心配は無くなった。
あとはロシアの南下の防止と東南アジア諸国のヨーロッパ諸国からの植民地支配の解放が目的となった。
大日本帝国は有色人種の中で唯一領土を伸ばす大国になっており、欧米側から激しい嫉妬を買っていた。欧米側からすれば「有色人種のくせに!」という感じだ。
欧米側は大日本帝国に嫌がらせの限りを尽くした。経済制裁したりABCD包囲網で石油を日本に入らなくしたり、最後はハルノートで満州から撤退を要求したり、太平洋戦争前からアメリカは戦争したくて しょうが無かったらしい。
それで昭和天皇ら戦争反対派は開戦派に押し切られる形で12月8日戦争が始まってしまった。
アメリカと大日本帝国という大国のライバル同士の戦争なので、もちろん日本側からすると植民地支配がどうの という闘いではない。
「有色人種を舐めるなよ」という闘いである。
と同時に東南アジア諸国の植民地状態の解放も掲げていた。
だからミャンマーやフィリピン等に日本兵のご遺体が未だに お有りになる。
彼らのご遺体は大日本帝国の大東亜共栄圏の達成という高い目標実現の執念の証、証明である。
戦争の終わりは昭和天皇の2回のご聖断お陰。
昭和天皇と勇敢にして執念を燃やし続けた御英霊様と超恐い当時の日本人に感謝しましょう。