はじめに、言〔ロゴス〕あり、
言〔ロゴス〕は神〔テオス〕と共にあり、言〔ロゴス〕は神〔テオス〕であった。
この〔ヨハネ福音書1章1節〕の意味している内容を理解出来ないと、聖書は無意味になります。
※言〔ロゴス〕を、〔イエス・キリスト〕に置き換えて読んでみてください。
はじめに、イエス・キリストがあった。イエス・キリストは神と共に、あった。イエス・キリストは神であった。
異端は絶対に認めません。イエスが神ヤハウェ?そんなバカな となります。しかし、聖書は イエスは「我は在る」エゴーエイミだとハッキリ書いてあります。我在るとは、神ヤハウェと云う意味している。